控え室での三浦弘行八段(当時)

将棋世界2004年3月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。

 新年になってから年末の記事を書くのは、気が抜けたような感じもするが、19日に見逃せない勝負将棋があった。

 A級順位戦の谷川王位対島八段戦、B級1組の深浦朝日選手権者対郷田九段戦、加藤(一)九段対田中(寅)九段戦などなど。

(中略)

 今期のA級は星が片寄っており、挑戦権争いは森内竜王が独走している。もし二番手の谷川王位が負けたりすると、年明けにも挑戦者が決まってしまうかもしれない。残り二番を残して決定は、いくらなんでも味気ない。

 一方、降級争いも、青野九段、島八段が不調で、もう負けられない状況だ。というわけで、谷川対島戦は、両方勝てばおもしろいのに、という感じがある。

 その局面を見ると1図。見たこともない激しい戦いだが、こうなる必然性もあるらしく、両者共に研究してある局面なのだろう。しかし、形勢は島やや不利のようである。馬の働きが違う。

谷川島2003年12月1

1図以下の指し手
△8五銀▲7七銀△8六歩▲同歩△同銀▲8八銀(2図)

 今、△8六歩と突き捨て、▲同銀と応じたところだが、その銀を目がけて△8五銀と交換を挑む。と、銀交換はいやだと▲7七銀と逃げた。そしてさらに銀交換をさけて▲8八銀と逃げるまで、島八段の指し手はノータイムだった。

 予定なのはわかるが、それにしても凄い辛抱である。負けられぬ将棋だからこういう指し方が出る。島八段は常々文学的に将棋を語っているが、こういうのを見ると、ずい分人間くさい。

谷川島2003年12月2

 ところで2図だが、どう見ても先手よいとは思えない。平凡に△8七歩▲7九銀とヘコますだけでも十分だ。

 このころ控え室は大賑わいだったが、そのなかの青野九段が「(2図で)まさか△7七銀成なんていう手はないだろうね。▲同桂なら飛車を取って(△3八馬)△8九飛と打つ」。

 なるほど厳しい。みんな、決まったか!とテレビの画面を見つめた。ところがしばらくして青野九段が「いやだめだ。△8九飛と打ったとき、▲7九銀と引かれるよ」と訂正した。私が「銀を引かれた後に△8八飛行成と成る人はいないからね」と言うと、すみにいた三浦八段が「いや△8八飛行成は有力だと思いますね」と言った。森内竜王、深浦七段、三浦八段など寡黙な人が意見を言ったときは、耳を傾けなければならない。よほど確信があるからである。

(中略)

2図以下の指し手
△7七銀成▲同桂△3八馬▲同金△8九飛▲7九銀△8八飛成行▲同金△7九飛成▲4八玉△8八竜▲4七玉△4五金(3図)

「やった!」控え室で歓声が上がった。ファインプレーに拍手、というわけだ。

 将棋は事実上ここで終わった。以下は変化のない一本道で△4五金まで。

谷川島2003年12月3

 島は覚悟していたように早く指し進め、3図以下は波乱が起こらなかった。

 午後10時25分終了。順位戦にしては異例の早い終局だった。

(以下略)

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控え室で寡黙な棋士の、とても重みのある一言。

1995年の頃の控え室でのそれぞれの棋士の様子を一昨日、昨日と取り上げてきたが、森内俊之竜王、三浦弘行九段、深浦康市九段の控え室でのスタイルは、またひと味違う。このスタイルは昔から変わっていないに違いない。

賑やかな控え室の隅にいた三浦弘行八段(当時)の、この日の控え室では初めての発言かもしれない「いや△8八飛行成は有力だと思いますね」。

そして、その手が当たって後手が勝勢になる。

あまり喋ることのない凄腕の用心棒のようで、とても格好いい。

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用心棒を英訳するとボディガード。

黒澤明の映画などに由来しているのかもしれないが、用心棒とボディガードでは、受ける印象がかなり異なる。

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それにしても、△8九飛~△8八飛行成は迫力の手順。

△8九飛に▲7九銀のところ▲7九銀打ならどうなるのだろう、と一瞬考えてしまうが、やはり△8八飛行成とされて被害はより一層大きくなってしまうことがわかる。