名人と景気の相関関係

近代将棋1994年9月号、故・小室明さんの「棋界フィールドワーク 誰も語らなかった羽生善治論」より。

 ここで羽生を含めた戦後9人の名人を掲げる―。( )内は通算在位期。

塚田正夫(2)、木村義雄(8)、大山康晴(18)、升田幸三(2)、中原誠(15)、加藤一二三(1)、谷川浩司(4)、米長邦雄(1)、羽生善治(1)

 木村の在位年数は戦前5期との合計である。昭和22年の塚田名人誕生から、名人交代劇を含め、その景気動向をたどると、塚田時代はインフレ、食糧不足が深刻化した暗黒の時代であった。

 昭和24年、木村が名人に復位すると、翌年、朝鮮戦争のぼっ発により国連軍の特需が始まり、翌年から日米経済協力による特需が始まったので、不景気は好景気に転じた。こうした中、昭和27年大山名人が誕生。世界的な好景気と豊作に支えられ、「神武景気」と呼ばれる好景気を迎えた。

 この好景気が一転し、なべ底不況が始まった昭和32年7月、升田名人が誕生。升田は初の三冠王を達成する。昭和34年、なべ底不況の後、在庫投資が活発化して岩戸景気(好景気)が始まると大山が名人に復位。以後、高度経済成長時代のシンボルとして13年間、名人位を張る。この間、景気は概ね良好であった。

 時は移り、昭和46年のドル危機による円高で、輸出依存型の日本経済が大打撃を受ける中、昭和47年中原名人が誕生した。そして昭和48年の第一次オイルショックを経た低成長時代に、中原は連続9期、名人位にあって黄金時代を築く。

 昭和57年、不況が深刻化し、企業が減量経営と省資源対策を強化する中、加藤は大熱戦の末に悲願の名人位を獲得する。

 ロッキード裁判をめぐって政局が動いた翌年、谷川が名人に。以後、戦後未曾有の大型景気(バブル)に潤う夢の時代に、名人位は中原→谷川→中原と目まぐるしく動いたのである。

 平成3年バブル崩壊後、景気は悪化し、企業倒産が続出。そして平成5年、冷夏による凶作が不況に追い討ちをかけたこの年、米長が名人となり、続いて今年は羽生が名人位に就く。経企庁の長期予測によると、長い不況もピークを過ぎ、景気はゆるやかに回復に向かっているところ。

 以上である。ここで9人の名人の在位期間中における景気の良否を分類してみると、木村、大山、中原、谷川の在位期は好況、景気上昇期、安定期がほとんどであるのに対し、塚田、升田、加藤、米長の在位期は不況、景気低迷期であることがわかる。

 よって、木村、大山、中原、谷川の長期政権型(谷川は中期か?)が名人の時は好景気、塚田、升田、加藤、米長の短期政権型が名人の時は不景気という図式が成立する。私はこの現象を「将棋界の景気循環システム」と名付けている。

 このシステムによれば、長期政権型であると見られる羽生は景気を浮揚させ安定に導く男だ。すでにその兆候はあり、羽生が長く名人に就いていれば、日本国は安泰なのだ。早急な円高解消、雇用回復は望めないまでもやがては立ち直ると思われる。

(中略)

 同じ伝統文化として大相撲にも同様の傾向が読み取れる。

 例えば、大鵬が王者の時代は大山名人の時代にあたり景気は良好、千代の富士独走時代は、中原・谷川時代でバブルの絶頂期。千代の富士が引退してバブルが崩壊し、横綱不在の混迷期から、史上初の外人横綱として曙が台頭した。

 その曙と羽生四冠王(当時)は本年、都民栄誉賞に輝き、角界と将棋界の頂点に立っている。

 こうした分類、分析にはある種の人為的強引さがつきまとうとして、批判的な見方もままあるが、私はこの手法に確信を持っている。さらにテーマの対象である羽生自身が過日、「今までで一番激しい絶望はどんなものか?」という私のインタビューに、「どんどん年をとっていくことを知ったとき」と答えるなど、時代や年代を強く意識していることからも、時の流れを核とした類型化を基軸に新たな羽生善治像に挑んでいるのだ。

(以下略)

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このような視点は非常に面白い。

1995年以降のことも分析できれば良いのだが、経済や景気の分析も伴うので、なかなか難しそうだ。

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小室明さんは2001年1月から週刊将棋で「渡辺明物語―21世紀の天才伝説」の連載を開始している。

しかし、非常に残念なことに、小室明さんは病気のために2001年4月に亡くなっている。

小室明さんは、渡辺明四段(当時)に将来の長期政権型名人の可能性と輝きを見たのだろう。

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湯川恵子さんは、この頃、永世名人は見合い結婚、短期名人は恋愛結婚という指摘をしている。

名人の結婚

結婚に関しては、羽生名人、森内竜王とも恋愛結婚のため、湯川理論が正しかったのは1990年代までということになる。