将棋世界2004年4月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
その久保が、憧れた棋士の一人が大野源一九段だったと何かで読んだ覚えがある。飛車使いの名人と呼ばれ、三間飛車5三銀型からの鮮やかな捌きぶりは、それまでのゆっくりとした、どちらかといえば受身がちの振り飛車の概念を一変させてしまった。
その華麗な駒の舞いは居飛車党をも魅了し、真似てみたくなるほどだった。
大山名人でさえ影響を受け、振り飛車を多用するようになったとの説もある。
私も奨励会時代に大いに触発され、5三銀型を真似したものだが、級位者のうちはうまくいったのだが、相手が有段者となると受けの力も強いのでなかなか思うようにはゆかなくなってしまった。
大野の才能は格別なものであったようだ。五段の頃から天才と呼ばれ、才能では升田以上ともいわれていたが、現実にはその升田を大の苦手としていた。
大野を若い頃から良く知っている将棋評論家の樋口金信氏によれば、彼に升田の闘志と大山の周到さがあれば、素晴らしい戦績を挙げるであろうに、とその才を惜しんだ。
大野のそそっかしさはつとに知られていて、A級順位戦の対塚田正夫九段戦では、自玉の王手を放っておいて相手に王手をかけてしまい、塚田に「悪いけど僕も苦しいからこれもらっておくよ」と王将を取られてしまったのは有名な話。
苦しいから云々は塚田にとってこの一番、降級がかかっていたからだ。
そんな自分を知っていたからかどうか大野は列車の発車時刻には慎重をきわめ1時間前にはホームで待っていたという。
才能は欠落、欠損から生まれるという説がある。
脳のどこかが欠けていると他の部分がそこを補い、されにその部分が本来持っている働きが増強され常人には思いもよらない能力を発揮するという。
アインシュタインや、エジソンが少年時代劣等生だったことはよく知られている。ミスター長嶋の「サバという字は魚ヘンにブルーですね」と云ったりする独特の言語感覚と動物的ともいわれる抜群の野球センスも無関係ではないだろう。
視覚に障害のある方々の優れた聴覚や触覚は健常人の常識を遥かに凌ぐ。
大野の場合、将棋そのものはそそっかしいどころか寧ろ緻密なのだが、それ以外の面で多少おっちょこちょいと思われる部分があったようだ。
それを補う脳の働きが、もしかすると将棋にプラスとなる脳の部分を刺激して誰も思いつかないような独創的棋才を伸ばしたのかもしれなかった。
先生との思い出話をひとつ。
四、五段の頃、大阪に遠征して対局中での出来事。
局面は既に終盤に差しかかっていて残り時間も乏しくなっていた。
そんな時、ふいと大野先生が現れ私の横にペタンと坐る。先生は次郎長噺に登場する小政の異名があり、小柄だったからどっかと坐る感じではない。
眼をぎょろぎょろさせて私に話かけてくる。「お前東京から来たんか」こちらは局面に必死だからそれどころではない。
次に「名前は何ていうんや」大先輩を無視するのは心苦しいが、この場面では許されると思い無言で盤面とニラメッコしていた。
すると「何や生意気なやっちゃな」こう仰言るとふいと席を立ってどこかへ行ってしまわれた。先生の真意が奈辺にあったかは分からない。ただこういったアケスケな先生だったと伝えたいだけだ。
電車の踏切を渡ろうとして思わぬ事故で逝ってしまわれた天才大野との、たったひとつの思い出である。
軽快、強引、細心
昭和32年5月28日
第7期王将戦
▲七段 佐瀬勇次
△八段 大野源一▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二飛
(中略)
佐瀬七段(名誉九段)はいわずと知れた佐瀬一門の総帥で、米長邦雄、高橋道雄、丸山忠久といったタイトル者の師匠であり、西村一義、田丸昇、等々数多の俊秀を育てた名伯楽である。
西村門には藤井猛、三浦弘行と並び、棋界の一大勢力を築いた功労者である。
大野は振り飛車の中でも三間飛車を愛用して十八番としていた。
(中略)
2図以下の指し手
▲9五歩△6四銀▲5七銀右△4二飛▲3七桂△6五銀▲7五歩△7六銀▲4七金△6四歩▲6六歩△6三金(3図)▲9五歩では▲4五歩の仕掛けが目に映る。これに対しては△4二飛と迎え撃つのが常形だが、捌きが身上の大野は▲4五歩には△5五歩とし、以下▲同角ならは△5四銀▲4四角△4二飛と軽く指したような気がする。この振り飛車の指法は後年大山-山田戦に現れた。
実際、振り飛車から仕掛けてゆくのは難しいのだが、大野は独特の感覚で手を造り出してゆくのだから大したものだ。
▲7五歩は79分の大長考。▲7七銀が自然だが、大野のことだから以下△5五歩▲同歩△3五歩▲同歩△4五歩▲同桂△5五角と激しく動いてくるかもしれずそれを警戒したものか。
3図以下の指し手
▲6七銀△同銀成▲同玉△3二飛▲4三銀△3一飛▲3四銀成△1五角▲4四成銀△4一飛▲1六歩△3七角成(4図)▲6七銀では▲1六歩または▲5八金が穏やかだが、それには後手△4一飛としてから(▲3五歩△同歩▲3四歩を消す意味)△7四歩▲同歩△8五銀▲6七銀△7四銀の好形を目指すだろう。
だがこの玉形はいかにも不安定で、大野には恰好の好餌に見えたのだろう。
△3二飛と八方破れに飛車を寄る。
大野の飛車はよく動く、達人の指し手には凝滞がない。
だが4三の地点に隙があるではないか、佐瀬はそこに銀を打ち込み自信があったと局後述べている。
ここから天下一品の大野捌き、大野ワールドが展開される。その華麗な動きを堪能いただきたい。
まず端に角を飛び出し飛車で成銀に当て、かわす成銀をさらに△4一飛と追いかける。そこで▲4五成銀には△3三桂▲3四成銀と利かせて△2六銀と打つ。▲4八銀に△4六飛が豪快な只捨てで、▲同金の一手に△3七銀不成▲1六歩△2八銀成▲1五歩△4九飛▲5九金△1九飛成として次の△3八成銀がキビしく後手が指せる。そこで、本譜は▲1六歩と突き△3七角成と切って落とした。
4図以下の指し手
▲3七同金△4四飛▲2二角△3四飛▲1一角成△3三桂▲4七金△2五桂▲2一馬△4二歩▲4八銀△2四飛(5図)△4四飛で角と銀桂の二枚換えとなったが、直後に▲2二角から▲1一角成と香を取った局面は先手が十分に見える。
だが、そこで△3三桂が何とも云えない筋の良い一手で「いよっ日本一!」と声を掛けたくなるほどの佳着であった。
すぐ見える▲3五香には△2五桂が用意されていて、▲同飛は△2四飛だし、▲3四香は△3七桂成で負かされる。
そこで▲4七金だが△2五桂とさらに跳躍して、大野得意の場面であったろう。
▲2一馬に一点渋く△4二歩で馬の活用をぴたり押さえた。
5図以下の指し手
▲2六歩△1七銀▲2七飛△2六銀成▲同飛△3四桂▲2八飛△3七銀▲同銀△同桂成▲2五歩△2八成桂(6図)△1七銀は見えるが、次の△2六銀成には驚いた。何とも強引、無理矢理といった手に見えるからだ。だがこの手で△3八銀は▲2五歩△2七銀不成▲2四歩で2枚の銀がアクビする。
さらに△3四桂から△3七銀とカチ込み、遂に手にしてしまう大野の豪腕には恐れいる。▲2五歩は正しく、ここ▲2四飛は△同歩▲3七金△3九飛ではっきり後手が良い。
本譜成桂がソッポへゆき、まだまだに見えるのだが…。
6図以下の指し手
▲2四歩△2七飛▲5七金△4八銀▲6八銀△1九成桂▲5八金上△5七銀成▲同金△4六桂▲4七銀△4三香(7図)△2七飛に▲4八銀は△3八成桂、▲5八銀は△4六桂がぴったり。
▲5七金は薄いようだが仕方ない。▲6八銀と使わせて悠々△1九成桂と香と補充する。
△5七銀成から△4六桂と遂にあの桂まで働いてきた。△4三香も実に底力のある一手だ。
7図以下の指し手
▲1二飛△3八桂成▲同銀△2八飛成▲4二飛成△5二金打▲3三竜△3八竜▲4四歩△7六銀▲同玉△6八竜(8図)▲1二飛はもう開き直りの一手。
そこで普通の感覚は△4八金だが、△3八桂成の軽妙さが何ともニクイ。
▲同銀に△2八飛成となってみると、香の利きが素晴らしく、銀取りを受ける手に窮しているのだ。▲4二飛成に△5二金打が当然とはいえ鉄壁の守り、銀の入手が約束されているから指し切る心配はない。
ここで▲3三竜と後手を踏んではいかにもつらく、さすがの千葉の猛牛もここでは観念したのではないだろうか。
もう後手玉は何の憂いもなくなった。
△7六銀からひたひたと迫る。▲同玉で▲7八玉は△8七銀不成▲同玉△6八竜で、本譜と大同小異。
8図以下の指し手
▲7七銀△5七竜▲6八銀打△4七竜▲4三歩成△6二金寄▲4四と△8四歩▲8六歩△7八銀▲6七桂△7四歩(9図)前譜で△5二金打と竜をハジかれた時、佐瀬は「そう堅くこられては弱ったな」 大野「そんなに弱ったなら、ええ知恵かそか」といったやり取りがあったそうな。いかにも両雄の人柄が現れている。
金を只取りしては▲4三歩成に△6二金寄と締める余裕もあろうというもの。
後手玉は金城湯池、▲4四とは、もう好きにしてくれといっている。
△8四歩と詰めろに突いて、ここから仕上げに入る。▲8六歩で▲8六玉は黙って△9四歩と突かれて身動きがとれない。▲8六歩にも△7八銀と退路を断ち後手は必勝形を作り上げた。
△7四歩に▲同歩は、△6七竜▲同銀△7五歩以下即詰。
8図以下の指し手
▲8五歩△6七銀不成▲同銀△7五歩▲同玉△7四金打▲8六玉△8五金▲9七玉△6七竜▲8七香△9六銀▲9八玉△7五桂(最終図)△7四金打からの寄せ方は間違っても負けない指し方で、これではいくら大野がそそっかしくても逆転のしようがない。
最終図は説明の要もないだろう。
この将棋に見られるように、大野の捌きは凡人に真似のできないものがあるが、それゆえ常に指し切りの危険と紙一重の戦い方であった。その棋質ゆえ負ける時は大概がっちり受け止められて切らされるケースが多かった。
だが、そのスレスレの所に斬り込んでゆく大野流にプロ、アマ問わず魅了されたのである。
(棋譜提供・東公平氏)
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真部一男八段(当時)の棋譜解説が素晴らしい。
当時の振り飛車は「飛車交換をすれば振り飛車よし」だったので、5図からの飛車交換を狙った強引な攻めが成り立つ。ましてや飛車使いの名人とも称された大野源一九段。
私もそうだが、飛車が大好きな方から見ると、とても嬉しくなるような手順。
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私は中学の頃に伝説の名著「大野の振飛車」を読んで大野源一八段(当時)の振り飛車に心酔し、棋譜を何度も並べたりしていた。
そういうこともあり、15年ほど前までは大野流5三銀型三間飛車が私にとっての主力戦法だった。
しかし、指し続けてみて痛感したことは、当然といえば当然だが、大野八段の指し回しの真似は絶対にできないということ。
升田式石田流のような戦法は中盤の入り口まで升田幸三実力制第四代名人になったようなつもりで指すことができるが(途中までは誰でも真似ができるので升田式石田流はアマチュアに人気が出た)、大野流は2図以降真似はできなくなる。
今思えば、大野八段の実戦集である「大野の振り飛車」は、私のレベルからすると、将棋を強くなるための本というよりも大野流振り飛車の神業の捌きを鑑賞するための本だったような感じがする。
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