将棋世界2004年5月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
最近一番関心した事。それは森内の二冠奪取ではない。
愛すべき先輩森雞二の驚異の復活である。詳しくは聞いていないのだが、昨年の暮れ頃、転倒した勢いで背面を強打し背骨の軟骨を潰してしまい、長期の入院を余儀なくされてしまったのだ。
順位戦はその時点で2勝4敗、痛い5敗目を不戦敗で喫してしまう破目となる。
順位も良くなく、降級点の心配もでてきた。口には出さねどモリ・ケージ危うしと誰もが思ったことだろう。
ところがである。南海の勝負師、土佐のいごっそうモリ・ケージは、そんじょそこらのヤワな男とは鍛えが違うのだ。
8戦目に気鋭の木村一基七段を175手の大激闘の末にねじ伏せた。両者持時間を使い果たし終局は深夜1時13分。
早指しの森が6時間の将棋で1分将棋になることは珍しく、これが病み上がりで腰にコルセットを装着した男の為し得る業かと感動させられた。
誰かの台詞に「男はタフでなければ生きてはゆけない。優しくなければ生きてゆく資格がない」というのがあったが、後半部分はともかく、つくづく森さんはタフな男だな、と思わざるを得ない。
その勢いは止まらず、残り2局も連勝して、降級点なんざどっかへ飛んでけ、である。殊に最終の対脇健二八段戦では昇級の目もあった脇を、お家芸の不定型将棋で翻弄しての中押し勝ちであった。
復帰後、他棋戦を含める6勝1敗とは、あっぱれ見事な出来栄えではないか。
森のタフさは将棋のみにおいてではなく、勝負事全般にわたる。
もう20年以上も前のことである。
六本木のゲームができるレストランバーに森先輩に連れてゆかれた。
バックギャモンをルールから教えてくれとおっしゃる。
バックギャモンとは西洋双六で2つのサイコロを振り、その出た目で互いの駒を動かし、早く上がった方が勝ちという確率を考えるゲームである。
中々に奥深いゲームで1度や2度の勝負であれば、運の良い方が勝つこともあるが、長くやれば必ず実力が現れるものである。将棋よりは麻雀に近いと思っていいだろう。
世界選手権も開催されていて、昨年のラスベガスでの大会では日本人が1位と2位を独占した。
歴史も古く世界的にはメジャーなゲームなのである。
そのバックギャモンを森さんは教えろという。この時点では私はまだモリ・ケージの深謀に気づいてはいない。
一から教えた。将棋でいえば歩の動かし方から始めるようなもの。頭の良い森さんは呑み込みが速く、大した手間もかからずにルールを覚えてしまったようだ。
因みに森さんはIQ190と皆に云っていたので、私が訝り真偽を問い質すと、すぐさま本当は160なんだと素早く値下げしたのにびっくりした覚えもある。
そんな話を耳にした板谷進九段が「それは血圧の話だろう」と云ったのは知る人ぞ知る。
タフなのである。
さて、ルールを覚えた後がいかにも森流で、今から一局500円賭けてやろうというのだ。これはいかに天才モリ・ケージといえども、あまりに無謀な申し出だ。
私は日本バックギャモン協会会長であった作曲家のすぎやま・こういち氏を15ポイントマッチの公開対局で打ち負かしたこともあるほどの腕前、対する森さんはズブの素人なのである。
将棋でいえば10枚落くらいの相手と平手で賭将棋をするようなものだ。
「優しくなければ生きてゆく資格がない」ことを知っていた私は、その申し出を辞退したのだが、森さんはかまわないからやろうといって聞かない。
仕方ないから始めたのだが、初めのうちはギクシャクした駒の動きだったのだが、次第に生き生きと動きだしてきた。
そんなはずがある訳ないと思うのだが、結構いい勝負なのである。
最終結果は忘れたが、ほんの少しだけしか勝てなかったように思う。
あっという間に上達することにはそれほど驚かないのだが、覚えたての初心者が上手に向かって賭けてやろうという、その勝負師魂に感心した私は、この美談をあちこちで吹聴していた。
それから何年経った頃だろう、森さんが「真部君、実はあの時、俺ギャモンを知ってたんだよ」と白状したものだ。
私の頭は一瞬空白になりました。
タフな男なのである。
だが、さすがのモリ・ケージも美談として伝わることにはキマリが悪くなったのかもしれなかった。
シャイな男でもあったのだ。
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故・真部一男九段と森雞二九段。この二人の将棋以外での共通点は、美男子系で良い意味での不良っぽい魅力を持っていること。
二人が組んで女性にアプローチすれば相当モテると思うのだが、二人が揃えばゲーム系に熱中することが多かったようだ。
まあ、一人でいるだけでも十分な雰囲気があるので、二人で組む必要もないかもしれないが。
そのような真部一男八段(当時)が森雞二九段を語った貴重な文章だ。
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「さすがのモリ・ケージも美談として伝わることにはキマリが悪くなったのかもしれなかった。シャイな男でもあったのだ」と結ぶ真部一男八段。
1990年の近代将棋で、湯川恵子さんは森雞二九段を、「彼って本当はかなりデリケートな気使いするんだけど、それ以上に照れ屋なの。気を使ってることがバレるの怖さに逆にわざとっぽく大声で気ィ使う妙なクセがある」と書いている。
真部一男八段も湯川恵子さんも、それぞれの別の視点から、それぞれ別々に体感したことから、森雞二九段について同じ結論に至っている。
弟子の島井咲緒里女流二段、里見香奈女流名人の論評も同じである可能性が高いと思う。
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森雞二九段の無頼派的な面白いエピソードは、写真家の弦巻勝さんが書いている。