羽生善治六冠(当時)「将棋の駒には何か夢が描けるんですね」

昨日の続き。

将棋世界1995年8月号、「羽生善治にロングインタビュー『六冠王とは一種のつらい人生』より。記は団鬼六さん。

団 あの本にも書かれていましたが、将棋というのは基本的に理数の世界になるんでしょうか。

羽生 ええ、まあ、棋士になる人は大体、子供の頃から理数系に強い人のようです。将棋は数学のようにはっきり答えの出せるものですから。

団 となると、僕みたいにガキの頃から数学は落第点ばかりとってたのは失格という事になりますが、しかし、僕はどうも将棋を数学的には考えられないんです。どっちかというと文系のものじゃないかと。文壇の大御所の菊池寛が愛棋家であった事は有名ですが、文壇名人戦というものがあるでしょう。数学者というのはたまに顔を出しても大体がヘボですよ(笑)。

羽生 そうですね。アマの場合は文系の方にファン層は多いようですね。将棋の序盤・中盤・終盤が小説の場合の序章・終章といったものに当てはまるところがあると思うんです。数学畑の人がヘボばかりとは思えませんが、やはりゲームですからどこかミステリアスな所があって、そこも数学的に割り切る事ができるのですが、勝負のかけひきというものは数学的に割り切れないものがあります。文学畑の人に将棋好きが多いのは数学的なものよりミステリアスな所にひかれるんじゃないかと思いますね。

団 成程、推理作家に将棋好きが多いのはそういう事なんでしょうな。羽生さんが初めて将棋と出会って興味を持ったというのはやはり数理的な興味からなんですか。

羽生 ええ、まあ―僕の家族は将棋には無関係で、近所の将棋好きの人に教わったのが始めるきっかけなんですが、数理的なものとゲームの面白さが一つになっている所が興味をひきましたね。

団 はあ、僕の場合はですね、小学生の頃映画を見ていて、入江たか子の滝の白糸なんですが、水芸人の入江たか子が浴衣がけで縁台に座って足元の蚊を団扇でパタパタ追っ払っているシーンがあったんです。浴衣の裾が乱れて白い脛がニューッと出て、その時、入江たか子が着ていた浴衣の模様が将棋の駒だったんです。将棋の駒模様というのが如何にも玄人の色気を出すものだと知ってポーッとなりましてね、それが将棋に凝る事になったきっかけみたいになって―まあ、色気から将棋に入っていったようなものですが。

羽生 将棋を始める動機というのは色々あると思うんですけど、団先生みたいに色気から入ったというのは珍しいと思いますね(笑)。

団 僕らのガキの頃には将棋を題材にした大衆小説とか映画が多かったんです。いわゆる伝記物というんですが角田喜久雄の風雲将棋谷、山手樹一郎の将棋大名といった手合いのもので。

羽生 ええ、聞いた事あります。

団 その風雲将棋谷というのは、映画では阪東妻三郎がやはり将棋の駒模様の着流し姿で登場するんです。遊び人である事が将棋の駒模様にはっきり出ているんですね。こりゃあ恰好いいなと思って成人してから僕、将棋の駒模様の浴衣、随分と作りましたよ。

羽生 推理小説の中で僕も何本か読んだ事ありますが、将棋の駒には何か夢が描けるんですね。

団 そう、確かに夢が描けます。指し方を知らない子供の頃でも飛車とか角とかの駒をいじって様々な空想した事があります。こういう駒模様が和服に似合うような艶やかな女を将来手に入れたいものだな、なんて。

羽生 随分と早熟な子供だったんですね(笑)。

団 女といえばこの間、週刊誌に畠田さんでしたか、羽生六冠王の恋人か、というのを見た事がありましたが、あれは本当なんですか。

羽生 ハア(笑)、大体マスコミはオーバーに書き立てるもので、そういう記事も人に教えられて、へえーと驚いているんですけど僕はあまり週刊誌なんて読まないんです。自分の事が書かれていても滅多に見ないですね。

団 将来をいいかわした仲なんて事は嘘っちゅうわけですな。

羽生 僕はまだ24歳ですからね。まだ、そこまでは。

団 でも、24歳であなたみたいに大成しちゃうとある意味では孤独を感じることはありませんか。一寸、女の子とデートするという事も出来ないでしょう。少し女の子と口をきいただけでもマスコミに知れると何やかや憶測で書かれちゃうし。

羽生 ええ、それはありますね。自分の行動が個人的な事だって誰かにじーっと観察されているような気味の悪さがありますね。孤独になりたいと思っても孤独になり切れない孤独といったものなんでしょうか。

団 タイトル戦で地方へ行った時など、帰りに取り巻きの一行と離れてどこかのひなびた温泉場で女の子と待ち合わせて二人きりになりたいと思ったことはありませんか。

羽生 ええ、まあ、それはありますよ(笑)。でも、それは当分の間は不可能だと思っています。

団 以前、箱根にね、つたやという温泉旅館がありまして大分、昔ですが僕は原稿を書くとき、ここの離れになっている個室を使ってたんです。そこに木村名人の掛軸がかかっていて、つたやの社長の一寸変わり種の弟さんとここでよく将棋を指したのですが、彼に聞くとその掛軸は木村名人がお忍びで女性と投宿した時につたやのために書いてくれたものだというのです。恐らく戦前の木村無敵時代だったと思うのですが、愛人とお忍びで温泉旅館に投宿して旅館に書を書き残すというのは木村名人らしい粋さが感じられますね。戦前はこうしたのんびりした余裕があったんですが―。

羽生 今だったらマスコミに袋だたきにされますね(笑。木村名人はそうした粋なエピソードが多くあったように聞いていますが―。

団 特に、結婚の前には男は或る程度、女遊びもやらかさにゃいかんと思うんですよ。今じゃ何でもマスコミに金縛りにあって、羽生さんみたいに若くして大成してしまうと結婚する事によって禁欲生活からようやく解放されるって事になるんじゃないかな。

羽生 考えれば何だかわびしい話ですが(笑)、昔の棋士は師匠なり先輩なりから将棋以外の人生的な色々な事を見たり聞いたりして身につけていったと思うのです。僕等の場合は将棋一筋で、まあ、その修業につぐ修業というか、おかげで将棋では中だるみの状態がなかったんです。わき目をふらず一気にここまで駆け抜いて来た感じで、気がつけばこういう状態になってしまったわけで、団先生の若い頃みたいなナンパする時代というのは置いてけぼりになっているんですね。まあ、考えれば有り難いと思ってるわけで、その内、のんびり遊べる時代が来る時もあると思うんですが。

団 いや、もうここまで来ればそれは不可能でしょうね。何も無理に遊ぶ必要はないけれど、大体、棋士というのは卵時代から普通の青年層とは少し違ったところがあって、いや、これは今の青年層全体の感じなんですが、僕の家に以前よく、奨励会員が遊びに来ていたんです。そんな時に一度、ポルノ女優の愛染恭子が遊びに来ていてしばらく喋り合って帰ったのですが、その後で彼等に彼女の印象を聞いてみると、なかなか性格がいいですね、というのです。年収はどれ位あるんでしょう、なんて聞くんですね。アホかと思いました。僕等若い時やったら愛染のおっぱいの形がいいとか、ケツの恰好がいいとか、そんな事しか話題にしなかったもので、ポルノ女優の性格みたいなものどうでもよかったのですが(笑)。

羽生 そうですね、奨励会時代というのは僕だってそうなんですが、まあ、ネットワーク型というか、一種のお宅族みたいな所がありましたからね。この種の人間というのはポルノ女優だからって普通に突っぱねて見る事が出来ないんです。性格分析から見ちゃうんですね。

団 いや、棋士の卵だけじゃなく、リコーやプロセスの若いアマ強豪だって、対局が終わって打ち上げの席で僕が猥談やったってニコリともしないんですよ。あの時、3三歩が悪かったとか、あそこは2五桂と打つべきだったとか、酒の席になったかて将棋の話を延々と続けるんですね。将棋をやる人間はネクラだと以前、将棋雑誌をやっていた時の女編集長がよくいってましたが、成程と思う事もありますね。その点で僕はアマ・プロ問わず、若手というのは苦手でして、まあ、酒席で猥談を語り合えるような米長先生とか内藤先生みたいなおっさん棋士とは気が合うわけで―。

羽生 ええ、わかります。内藤先生は特に傑作だと思いますね(笑)。内藤先生が立会人となったタイトル戦は楽しいですよ。打ち上げが楽しいんです。よくあんな面白い話が出来るものだと感心しますね。将棋の疲れがいっぺんに消し飛んだ思いになります。

団 関西人特有のユーモアがあるでしょう。何時だったか、酒の席でもし僕が連盟の会長になったら団さんに色々と相談に乗って貰いたい事があるというのです。何や、と聞くと、会長になったら大阪から東京に出てマンションを借りんならん。単身赴任という形になるわけやが、そのときに東京妻というものを持つ必要があると思うんやが、うちのカミさんに内緒にして、あんたに手配お願い出来るか(笑)。もちろん彼の冗談ですけど、そんな事がポンポン歯切れよく飛び出してくるんですわ。

羽生 ええ、とにかく一緒にいると楽しくなっちゃうんでネアカの代表みたいな方ですね。

(つづく)

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団鬼六さんが小学生の頃に将棋に凝るきっかけとなった「滝の白糸」は、1933年制作の溝口健二監督によるサイレント映画。

「滝の白糸」については、以前このブログでも書いているが、あまりにも切ない悲恋の物語で、目が腫れてしまうほど泣ける映画。

→ 義血侠血

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2009年1月、団鬼六さんと木村晋介将棋ペンクラブ会長の対談(将棋ペンクラブ会報2009年春号に掲載)が行われた時のこと。

場所は、団鬼六さんの自宅そばの、団さんが行きつけの浜田山の寿司屋。

団鬼六さん、木村晋介会長、将棋ペンクラブ幹事からは湯川博士さん、湯川恵子さん、中野隆義さん、対談書き起こし担当の私が参加。

18時に開始して、はじめの1時間位は酒無しの対談の予定だったが、15分経った頃に人数分の生ビールが出てきて、飲みながらの対談となった。

しばらくすると、少し離れた席に家族連れで来ていた男性が、一人でこちらにやってくる。

「あっ、突然失礼致します。団鬼六先生でいらっしゃいますか? いやー、わたくし、先生の大ファンでして、お目にかかれて感激しております」

「そうですか。ありがとうございます」と団さんも嬉しそう。

「あっ、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。いやー、嬉しいなあ。どうも失礼致します」

その男性もとても嬉しそうに席に戻っていった。

団さんのSM系の著作も沢山読まれているのだろうが、小さなお子さんは別としても、奥様にはどのように説明しているのだろう、と私は一瞬思った。

そして、またしばらくすると、さっきの男性よりも年配の男性が、

「団鬼六さんですか? いやー、私、先生の本の愛読者なんですよ。ああー、本物の団鬼六さんだ。握手していただけますか?」

「いやー、どうもどうも」と団さんは握手する。

たしかに団さんは和服を着ていたので目立つだろうが、それにしても、すごい人気だと思った。

二軒目は浜田山のカラオケスナックへ。

日曜日だったので団さんがよく行く店は休みで、たまに顔を出す店だったようだ。

マスターが一人でやっている店で、カウンターには常連らしい女性客が一人。

早速、我々はボックス席に陣取り、カラオケで歌い始めることとなった。

30分位経った頃、湯川博士さんがカウンター席の女性に「こっちの席で一緒に飲もう」と声をかけて、その女性もこちらの席へ。

よくよく見てみると、結構すごい美人だった。

偶然ではあるが、彼女は団鬼六ファンで、団さんの「花と蛇」をはじめ団さんの作品名が次々と彼女の口から語られた。

団さんは大喜び。

それにしても、団鬼六さんの顔と名前が一致している人のなんと多いことか。

今日の記事のインタビューの中で、団鬼六さんは羽生善治六冠(当時)に、「顔がいろいろと知られてしまうと、外では、やりたいことがあってもできなくなってしまうでしょう」のような話をしているが、それは団鬼六さん自身も以前から抱えている悩みだったのかもしれないなと思う。

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写真家の弦巻勝さんの「弦巻勝のWeb将棋写真館」の最新の記事で、団鬼六さん、中野隆義さんのことが語られている。

弦巻さんらしい、とても印象的な写真と文章。

”浜田山の鮨屋”とは、対談が行われた団鬼六さん行きつけの寿司屋。

言われてみると、中野さんは2軒目のカラオケスナックで『勝手にしやがれ』を歌っていたかもしれない。

名人戦その2(弦巻勝のWeb将棋写真館)

 

 

 

 

第73期名人戦第1局対局場「ホテル椿山荘東京」

羽生善治名人に行方尚史八段が挑戦する名人戦、第1局は東京都文京区の「ホテル椿山荘東京」で行われる。→中継

椿山荘のある周辺は、昔から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。

1878年に明治の元勲である山縣有朋が「つばきやま」を購入し「椿山荘」を建てて自分の屋敷とした。

1918年に、大阪を本拠とする藤田財閥二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。

そして、1948年に藤田興業(藤田観光の前身)の所有地となり、1952年から結婚式場として営業を開始している。

ホテルは、1992年に「フォーシーズンズホテル椿山荘東京」としてオープン。

2013年からは、藤田観光とフォーシーズンズホテルの業務提携解消により、「ホテル椿山荘東京」と改称。

2008年以来、名人戦第1局は椿山荘で行われている。

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[ホテル内のレストラン]

ホテル内には多くのレストランがあり、コース料理が中心。

現在はレストランのメニューが掲載されていないので、一昨年のメニューからタイトル戦の昼食向きメニューを見てみたい。

ザ・ビストロ(洋食)

ズワイ蟹とアボカドのホールウィートサンドウィッチ

ビストロ特製クラブハウスサンドウィッチ

国産牛のハンバーガー、又はチーズバーガー「ブルー、チェダー、ゴーダ、又はブリー」

生ハムとルッコラのピザ

ビストロ特製カレー「ビーフ、チキン、シュリンプ、又は野菜」

スパゲッティ 新鮮魚介と濃厚なトマトソース

濃厚玉子のふわとろチキンオムライス 自家製マッシュルームデミグラスソースを添えて

カフェ フォレスタ

椿山ポークカレー

カツサンド

ミックスサンドウィッチ

そば処「無茶庵」

かけそば

鴨南蛮

とろろそば

天ぷらそば

せいろそば

鴨せいろ(温かいおつゆ

とろろそば

天せいろそば

岩海苔おろしそば

[椿山荘での名人戦での昼食実績]

将棋棋士の食事とおやつのデータより。一日目、二日目の順)

2014年

森内俊之名人 天丼、チキンカレー ●

羽生善治三冠 ピザマルゲリータ、ミックスピザ ◯

2013年

森内俊之名人 天丼、カレーライス ◯

羽生善治三冠 松花堂弁当、松花堂弁当 ●

2012年

森内俊之名人 ビーフカレー、松花堂弁当 ◯

羽生善治二冠 ピッツァ・マルゲリータ、うな丼 ●

2011年は公開されていない。

2010年

羽生善治名人 クラブハウスサンドイッチ、松花堂弁当 ◯

三浦弘行八段 稲庭うどん、稲庭うどん(天ぷら付き) ●

2009年

羽生善治名人 野菜とモッツァレラチーズのサンドイッチ、きのこといかのスパゲティ ◯

郷田真隆九段 親子丼(メニュー外)、天ぷらうどん ●

2008年

羽生善治名人 カレーライス、にぎり寿司 ●

森内俊之九段 チーズバーガー、カレーライス ◯

[昼食予想]

羽生善治名人は、昨年のようにピザの連採があるかどうかがポイント。

行方尚史八段は、一昨年の王位戦では、うな丼(×2)、肉うどん、昆布うどん、ビーフカレー(×2)、シーフードカレー、スーラータンメン、親子丼(×2)というメニュー選択。一日目と二日目に同じメニューであることが多いのが特徴。

予想は次の通り。

羽生善治名人

一日目 ピザマルゲリータ、

二日目 松花堂弁当

行方尚史八段

一日目 うな丼

二日目 ビーフカレー