将棋世界1998年10月号、山崎隆之四段(当時)の村山聖九段追悼文「心に残る人」より。
「村山先生が亡くなった」突然の知らせだった。ウソダロ、ナンデダヨ。
「ずっと体調が悪かった事は、”絶対に知られたくない”との本人の希望で知らせなかった」心配されるのは好きじゃないみたいだった。病気がハンディと思われるのや同情が大嫌いみたいだった。「知られたくない」か村山先生らしいなっ。
村山先生はお世辞の多いこの世界で僕が天才だのと言われ「オレが天才に見えるか天才が多い世界だなー」とやになっている時「山崎君、弱いですよ」「山崎君も終わりかな」 四段になってからも将棋を見て「山崎君、もうちょっと強かったと思ったけどな」と見たまんまを言ってくれる人でやる気も出るしうれしい気持ちにさせてくれた。歯に衣着せぬ人だったけど根がやさしいから村山先生を嫌いな人なんて聞いた事がない。
よく僕達に食事をご馳走してくれた。焼肉屋さんに行った時ひょんな事から自由ってあるかないかの話しになり僕達はあると言い村山先生はないと言い、あるんだって気持ちをぶつけるとないんだって気持ちがバンと返ってきた。
こういう時、年が若いとか関係なく気持ちをバンと返してくれた。
「自由ないよ」って言ってた村山先生が一番自由に生きようとしていた気がする。
音楽や本の話の時も「これメロディがいいんだよ」とか「これはね…」って熱心に思い入れなどを話してくれた。なんに対してもいいかげんな思い入れはしないようで将棋に対しては特にそうだった。
この前、村山先生の昔の記事を見た。
「将棋は心が疲れる、負けた時は死ぬかと思う」「将棋に一生をかける価値はあるか」昨年大手術をした時行ったら棋譜を並べてた。この言葉は本当の様な気がする。将棋に全力は出すとは思うけど、負けたら死ぬと思うとか一生をかけるとか図のたった八十一個の桝目と四十枚の駒に……。そこまでしないと全力を出すって事にはならないのか。どうやら相当自分は甘い考えをしていたみたいだ。
しかしほんとに精一杯生きるんだって感じですごく魅力的な人だ。
村山先生好きな人たくさんいるからたぶんみんなの心の中にずっと居るだろう。村山先生ありがとうございました。
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村山聖八段(当時)の弟弟子の17歳の山崎隆之四段(当時)。
山崎四段の書く文章は、決して流暢とは言えないかもしれないが、逆に心や思いがより強く伝わってくる。
本当に兄弟子のことが大好きだったんだなと思う。
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村山聖八段が亡くなったのが1998年8月8日。
日本将棋連盟には8月10日に訃報が伝えられた。(日本将棋連盟は8月9日付で九段を追贈)
山崎四段は8月11日に広島の村山九段宅へ弔問に訪ねている。
その際に、村山九段のお母様は山崎四段に、「聖のぶんも頑張ってね」と話している。