二上達也九段逝去

元・日本将棋連盟会長で、将棋ペンクラブ名誉会長も務めていただいた二上達也九段が11月1日に肺炎のため亡くなられた。享年84歳。

訃報 二上達也九段(日本将棋連盟)

日本将棋連盟元会長 二上達也九段が死去(NHK)

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2003年の月刊宝石、湯川恵子さんの「将棋・ワンダーランド」より。

  連載最終回、会長のことを書きます。

 二上達也九段。平成元年5月から7期(14年間)日本将棋連盟の会長をつとめた。会長は2年ごとの選挙で選ばれた理事たちの互選で決まる。今年5月23日に行われる理事選に二上九段は立候補していない。
 7期というのが、ご当人はちょうど満足らしいですよ。

 平成2年、順位戦B1級にいたときあっさり現役引退した。いかにも二上九段らしいきれいな引き際だったなぁと思う。後年、旅先でその話をした時、

「いやぁ弟子(羽生さんのこと)と本番で指して負けるのも、なんだしねぇ(笑い)」

 そんな知的な、ハンサムな、照れくさそうな笑顔に接するたびに、会長さんらしくないおもしろい先生だなぁと思った。

 小唄のおさらい会に、ねだって招いてもらったことがある。将棋関係者は他にいなかった。キュ~ッと細く長く練り上げた絹糸のような艶のある声に胸がジーンとした。カラオケの”マイク二上”とは別人だ!?

 17才でアマ名人戦の北海道代表。昭和25年にプロ四段。A級八段まで6年しかかからなったスピード出世。A級在位連続24年(通算28年)。タイトル戦登場26回(獲得計5期)。普通なら超一流棋士として有名なはずだが、大山康晴十五世名人の全盛期とばっちり重なった……。 アマチュア時代から詰棋作家だった。いつか茨城の海岸べりの道場へ同行したとき、壁に飾られた古い色紙が二上九段作の詰棋。簡素な形で難問。先生、降参です教えてください。

「う~ん私も……いや最近よくあるんだな。自分の作ったやつが解けないってねぇははは」

 図の局面も案外ご当人は忘れているかもしれない。<将棋百年>という本は『運命的な局面』と書いている。昭和37年、第12期王将戦第六局。図から△4九金▲5七角△9六歩……と進み、大山王将が次第に悲境に陥り結果は二上新王将誕生。無敵大山五冠王の一角を初めて切り崩した勝利だった。

 負けたことは忘れないものらしい。昨年、私が参加しているある勉強会でミニ講演をお願いした。貧乏な会がいきなり会長に頼んだのに将棋会館で実現。そのときひょいと聞いたのだ。

「大山さんには何をやっても勝てなかったですが……一つだけ勝てましたね。ええ、大山会長は6期。私は7期(笑い)」 

 今度の理事選は大変だ。久しぶりの”米中戦”と騒がれているので一層、さりげなく治めて来た二上時代が粋に想える。

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9~10年前の将棋ペンクラブ大賞最終選考会の打ち上げの時、隣の席だった二上達也九段・将棋ペンクラブ名誉会長に、かなりマニアックなことを聞いたことがある。

それは1970年A級順位戦〔二上達也八段-升田幸三九段戦〕のことで、升田九段の阪田流向かい飛車に対し二上八段が快勝した一局。

すると、「僕って自分の将棋は覚えてないからなあ。そんな将棋があったんだねえ。でも僕は大山さんにはなかなか勝てなかったけど、升田さんにはずいぶん勝ったんだよ」と二上九段。

後で調べてみると、二上九段は、大山康晴十五世名人には45勝116敗と大きく負け越しているが、升田幸三実力制第4代名人とは29勝23敗1持将棋で勝ち越している。

すごい棋士と話していたんだということを痛切に感じた。

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2005年の今頃の季節だった。

二上九段、湯川博士さん、湯川恵子さん、私の4人で中野のカラオケボックスへ行ったことがある。

二上九段の歌を聞くのは初めてだったが、本当に気持ち良さそうに歌われていたのを思い出す。

今日、訃報を知って、とても感傷的な気持ちになっている。

謹んでご冥福をお祈りいたします。