「パンチDEデート」に出演した脇謙二五段(当時)

名人戦第4局は矢倉・脇システムでの戦いとなっている。

今日は脇謙二八段の若い頃の話。

将棋世界1983年9月号、田辺忠孝さんの「浪花だより」より。

 話は違うが、新鋭の脇謙二五段が、あつかましくも「パンチDEデート」なるテレビ番組に出たらしい。録画を終え、近く放送されるという。

 録画の際は若手棋士、奨励会員、連盟職員が大挙応援に出掛けたが、相手は21歳の民謡の先生で、「まあまあの美人」という話。その後、デートの具合がどうなったのか、ご本人の口からねっちりと聞き出して報告したいと思う。乞うご期待。

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将棋世界1983年10月号、田辺忠孝さんの「浪花だより」より。

 それから会館の近くの飲み屋におもむき、谷川、東、南、それにそれがしの4人で深夜の乾杯。話は7月31日夜のテレビ「パンチDEデート」に出演した脇謙二五段のことになった。脇の兄弟子である東が「脇君、だいぶ堅うなっていたな。顔が引きつっていた。実物の方がずうっと好男子や」と言う。

 脇のお相手は先月号でちょっと紹介したように民謡の先生で20歳(既報21歳は誤り)。話に聞いていたよりも上等の美人で、若いのに貫禄十分。めでたく双方とも照明が輝き、デート成立となったが、その、なんとかユカリさんは、脇君のことを「ほんまの男のやさしさがある」と評していた。

 というわけで、その後の成り行きが注目されたが、脇に聞いてみると何の進展もないとのこと。「ああいうものはそんなもんじゃないですか」とあっさり言う。そんなものかね、ああつまらない。

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将棋世界1983年10月号、小野修一四段(当時)の「棋士近況」より。

 8月1日から5日まで、沖縄から石垣島へとしゃれこみました。関東・関西合流で小野・島・塚田、関西からは脇・西川。

 島君言うところの「将棋連盟若手の最強グループ」(将棋の話ではない)

 くれぐれも、夜は、皆で酒を飲みトランプをやって時間を過ごすことがないように、この一点にしぼっただけあって上々の成果。

 なにしろ女性と見たら、ためらわず後ろから(顔も見ずに)声を掛けるというS君かいるから心強い。

 その割には妙齢の美人達と知り合いになれ、夜は楽しく酒を飲み、パンチDEデート出演の脇君は、「もうだめですよ」と言いながら、皆にかくれて大阪の彼女に電話をするなど、各自思い思いに楽しんだ今回の旅行でした。

 ただし知り合った相手が、全部教育関係の女性達で類は友を呼ぶではありませんが、やはり我々はまじめなんだと、妙な所で感心した次第でした。

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「パンチDEデート」は、1974年10月から1985年3月までフジテレビ系で放送されていた関西テレビ制作の視聴者参加のお見合い型バラエティ番組で、司会は、桂三枝さん(現・六代桂文枝)と西川きよしさん。

はじめ、お互い顔が見えない(視聴者には見えている)状態でそれぞれインタビューを受け、終盤のタイミングで仕切りのカーテンが開けられご対面。その後は1~2分、2人だけで会話をして、最後に、相手を気に入ったならスイッチ・オンし、そうでないのならノータッチ。

大きなハート型の電光掲示板の全体(ハートの左半分が女性の意思表示で、右側が男性の意思表示)が点灯すれば、今後のお付き合い合意ということになる。

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脇謙二五段(当時)は、この年の3月にC級2組からC級1組への昇級を決めており、その勢いをもって「パンチDEデート」に応募したのだろう。

脇五段のこの当時の写真を見ると、絶世の美男子だ。

写真: DSC_0178

しかし、男女の仲はなかなかうまくいかない場合もある。

Wikipediaによると、この番組で結婚に至ったカップルは、番組スタッフが確認した限りではわずか4組しかいなかったという。

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1990年代前半までは、将棋の棋士というと、泉正樹八段の若い頃の文章を借りると、若い女性から「エッ、何それ、しょうぎっておじいさん達がやるゲームでしょう。ダッサーイ」と言われることが多く、女性と知り合うようなきっかけが持てた時には、棋士であることを隠していたという。

当時の将棋連盟若手最強グループの旅行の際に、棋士であることを最初から明かしていたかどうか、興味深いところだ。

27年前の悲劇