対局時の2人前の食事の元祖

今週のB級2組順位戦で、田村康介七段が昼食に「レストラン イレブン」の

  • サービスランチ(豚ロース肉しょうが焼き)
  • サービスランチ(海老フライ・クリームコロッケ盛合せ)

の2つを注文して話題となっている。

今年の2月には、C級2組順位戦で加藤一二三九段が夕食でみろく庵

  • チキンカツ定食
  • カキフライ定食

の2つを頼んで、これもまた非常に大きな話題となった。

対局時の2人前の食事というのは非常に珍しいことだが、今日はそのルーツを探ってみたい。

将棋世界1983年9月号、産経新聞の福本和生さんの第42期棋聖戦第4局〔中原誠棋聖-森安秀光八段〕盤側記「森安の粘力、最終局にもつれこむ」より。

 中原誠棋聖の2勝1敗で迎えた棋聖戦第4局は、7月19日、神戸市有馬温泉の「陵楓閣」で行われた。

「1勝して地元でタイトル戦を…」の森安秀光八段の念願が実現した。

(中略)

 第4局は居飛車穴熊であった。中原が23手目の▲9九玉としたところで、昼食のメニューを聞いた。

中原「関西は、うどんがおいしいですから肉うどんと、きざみうどんにします」

森安「二つは多すぎるし…。いや、私も肉うどんと、きざみうどんにしましょう」と、一瞬硬い表情をみせた。その直後に森安も△9二香~△9一玉の穴熊であった。新聞記者は、すぐに話を面白くするクセがあるが、中原が肉うどんだけの注文だったら、森安は穴熊にしなかったかもしれない。うどん二つで持久戦辞さず、が森安の闘志を燃えあがらせ”負けるものか”の相穴熊となった。ちょっと考えすぎかな。

(中略)

 中原の43手目▲8七銀で昼の休憩になった。

 さて、問題のうどんである。中原は二つを食べたが、森安は「ちょっと多かった」と少し残した。

(中略)

 104手目の森安の△7七桂が厳しく、中原も懸命に頑張ったが及ばず、150手目の△9九金をみて「これは負けました」と投了した。午後10時14分、残り時間、中原3分、森安2分の熱闘であった。

 相穴熊戦とは思えぬ、動きの激しい将棋であった。

 これで戦績は2勝2敗のタイとなった。戦前に「今期の棋聖戦はもつれそう」の声があったが、遂に最終決戦である。

(中略)

 それにしても、森安の”四間飛車宣言”は大胆不敵である。作戦は密なるをもってよし、とするのが常法であるのに、これ以外はやりません、というのだからおそれいる。こんな挑戦者は、棋聖戦はもちろん他のタイトル戦でもいないはずだ。

 森安が棋聖位を獲得すると、これは「四間飛車棋聖」である。

「棋士になって初めてといってもいいスランプに襲われ、めためたに負けています。絶不調ですわ。それが棋聖戦だけ妙に勝つんですよ。準決勝で内藤先生に勝ったときは、これはひょっとするとひょっとかなと思いました」

 ”ひょっとすると”がホントになって、森安は4度目の正直で挑戦者になった。そして対中原に2連敗から2連勝―。森安ムードの展開になっているような気がする。

 中原が週刊誌を見せてくれた。「HEIBON」と書かれた表紙に、女優の十朱幸代と並んで谷川名人の顔が載っていた。内容をみると十朱の記事はあったが、谷川の名人のことは一行も触れていない。

 将棋界が新しい時代を迎えようとしていることを、この表紙は敏感にキャッチしている。いろんなことを考えさせてくれた表紙であった。

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2人前の食事を自らの意志で注文した場合、田村康介七段、加藤一二三九段、中原誠棋聖とも、敗れている。そこが残念なところだ。

ちなみに、きざみうどんは味付けをしていない油揚げを刻んだものと九条ネギが入ったうどん。

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2人前の食事、と聞いて頭に浮かぶのはキッチンジロー

これは、量が2人前というわけではなく、おかずが2人前のメニューに相当するということから。

基本はセットメニューで、

メンチカツ、ハンバーグ、チキンカツ、チキン南蛮、海老フライ、スタミナ焼き、帆立ミルクコロッケ

から2~3種を組み合わせたものとなっている。

若い頃、東銀座の裏通りの更に奥まった所にあったキッチンジローにはよく行っていたものだが、メンチカツ+ハンバーグをまた食べたくなってきた。