羽生善治名人「体力は森内君にかないませんよ」

将棋世界2004年7月号、山岸浩史さんの「盤上のトリビア 第4回 羽生名人は全力を出したことがない」より。

どうしてそこまで?

 和服とセーター、分厚い座布団と折りたたみ椅子の違いはあっても、髪をかき上げ苦悶するさまはタイトル戦中継で見慣れた姿と変わらない。

 京浜急行蒲田駅から徒歩3分、「大田区産業プラザ」の1階会議室―2004年「百傑戦」は、最大のヤマ場を迎えていた。6年ぶりに参加した将棋の羽生善治名人が5戦目を終えて単独2位に立ち、いま1位の選手と直接対決を戦っているのだ。事実上の決勝戦である。

 ここまで羽生名人は3勝2分けで計4ポイント。この2つの引き分けにはわけがある。前日―3月27日に指されるはずの3戦目と4戦目を、名人は「女流棋士発足パーティー」に出席するため棄権し、規定により引き分け扱いとなったのである。

―それで優勝されちゃ、チェス界の人間として恥ずかしい―

 と、羽生名人と戦っている男は当然、思っている。4勝1分け、計4.5ポイントで首位を走る男こそ、われらがモーオタ、塩見亮であった。

 二人の対戦成績はここまで羽生名人の3連勝。だが、この一局が大熱戦になっていることはチェスがわからなくてもわかる。端にいたルークを中央に活用した名人が、駒を二度三度、盤に押しつけた。あの「グリグリ」が、チェスでも出た!

 森内竜王に次々とタイトルを奪われた羽生名人にいま、かつてない不調説が囁かれている。事実なら、まず考えられる理由は疲労だが、チェスへの尋常でない熱中ぶりにはこんな疑問の声もある。

―もう将棋には飽きて、チェスへの転向を考えているのではないか―

 げんに4月からの名人戦7番勝負と朝日オープン5番勝負をひかえた3月最後の週末を、羽生名人はこうしてチェスの勝負に没頭しているのだ。

 くうっ。名人が顔をゆがめ、声にならない声を発する。どうしてそこまでやるんだ?佐藤棋聖が、森内竜王が、呆れる理由がわかる気がする。

 やがてモーオタは静かに駒を倒し、投了の意思表示をした。ついにトップに立った羽生名人は次の7局目も制し、百傑戦2度目の優勝をはたしたのだった。

 惜しかったな、モーオタ、と声をかけようとして息をのんだ。あのお気楽男が床の一点を見つめ、唇を噛んでいる。

「くやしいです。将棋の力で負けたのならしかたがない。でもきょうは、羽生さんにチェスで負けた。定跡書を読むだけじゃなく、グランドマスターの棋譜を何局も並べていなくては指せない手をやられて負けた。僕はまだ甘いです」

 そして、独り言のようにつぶやいた。

「いったい、いつ勉強してるんだ……」

 かくして平成15年度の最後に、将棋界の誰も知らないところで、羽生名人に百傑戦優勝という「棋歴」が加わった。

「300キロの世界」

 蒲田駅までの夜道を、野口恒治さんと話しながら歩いた。会社員の野口さんは元奨励会員である。才能に見切りをつけ退会してからは駒に一切触れないと心に決めたが、あるときチェスを覚えると、たちまちのめり込んだという。

「一度ゲームにはまった人間の本能というのか……中毒なんですね。僕は、将棋を何かの理由で続けられなくなった人間が向かうのが、チェスだと思うんです」

 突然、野口さんの口調が改まった。

「こんなことを僕がいうのは失礼ですが、羽生先生もそうなんじゃないかという気がするんですよ」

 何ですって?

「将棋に打ち込みすぎると、誰だってどこかおかしくなります。羽生先生はそうならないよう、将棋にブレーキをかけてるんじゃないか。だからあんなにチェスに熱中するんじゃないかと……」

 電流が走るように蘇る記憶があった。平成5年刊行の『対局する言葉』(毎日コミュニケーションズ)の中で英文学者の柳瀬尚紀氏に羽生名人が語った言葉だ。

<アイルトン・セナ、もう亡くなってしまいましたけど、やっぱり時速300キロの世界で「神の存在を見た」って言い出したときがあるんですよ。(時速300キロの世界は将棋にもあるのか、との問に)そうですね。どんどん高い世界に登りつめていけばいくほど、いわゆる狂気の世界に近づいていくということがあると思うんです。一度そういう世界に行ってしまったら、もう戻ってくることはできないじゃないですか。そういうことに対してやっぱり多少、抵抗感みたいなものがあるのかな、と>(以上抜粋)

 狂気の世界をのぞいてしまった羽生名人はその手前でブレーキを踏み、たぎるエネルギーをチェスに向けたのか?

 そんなバカな、とは思う。だが、いわゆる「羽生マジック」について考えると、荒唐無稽とも思えなくなってくるのだ。

「羽生マジック」とは何か、解釈はさまざまだろうが、日浦市郎七段は以前、こんな話をしてくれた。

 1図は急戦矢倉の将棋で先手が▲3五歩△同歩▲同角と7九にいた角をさばき、後手の△4四銀に対し構わず▲2四歩と突いた局面。この▲2四歩が昭和62年、(先)有吉道夫VS谷川浩司戦で有吉九段が指した新手だった。

 ここで△3五銀と角を取るのは▲2三歩成から飛車先を破られる。だから後手は△2四同歩と応じ、▲2三歩△同金▲2四角以下、3筋と2筋の歩を一度に交換できた先手が十分な展開となった。

トリビア5

 たまたま連盟でこの将棋の検討に加わっていた日浦七段はしめたと思った。あさっての対羽生戦に、これを使おう。

 はたして思惑通りに局面は進み、日浦▲2四歩で1図。ところが―。

「羽生さんは、1分で△3五銀と角を取ったんです。1分で、ですよ」

 実際の後手の考慮時間は2分と記録されている。それだけ日浦七段の衝撃は大きかったのだろう。以下は▲2三歩成△4四角▲3二と△同玉……と進んだあと、後手が△2六歩から最後は△2一飛と回る遠大な構想を見せて70手で圧勝した。

「有吉-谷川戦の検討では、△3五銀なんて誰も本気で考えなかったのに……」

 真夏の午後、怪談でも語るような日浦七段の表情が印象的だった。

 駒得よりも飛車先を破るほうが価値が高い。それが将棋の「筋」である。将棋は人間には少し難しすぎるゲームだが、こうした「筋」に頼ることで棋士は読みを絞り込み、正解に近づいていく。ところが、将棋にはごくまれに「筋」にない手が正解になる場合がある。そんな例外を拾い上げるのが「羽生マジック」ではないか、というのが私の仮説である。

 しかし「筋」に頼らず指すという酷使に、いったい人間の脳は耐えられるものなのか?そう考えるとき、「300キロの世界」という言葉が頭をよぎるのだ。

チェスをやる理由

 京都から東京へ向かう新幹線の車中。私の隣に羽生名人が座っている。朝日オープン5番勝負第2局の帰りだった。

 この幸運と、敗戦翌日でも屈託のない名人に感謝しながら、質問を開始した。

 なぜ羽生名人は、あんなにチェスに熱中するのか、巷ではおよそ3つの説がいわれています。将棋に役立つから。将棋の海外普及に役立つから。チェス転向を考えているから。どれでしょう?

「えーと、どれも違うんですけど(笑)」

 そのあとは立て板に水だった。

「チェスは、とくに海外の大会はハードなんです。私のような素人でもグランドマスターとすぐに当たるんですよ。過去7回やって6敗1分けです。吹っ飛ばされます。読み、大局観、センス、すべてが違う。海外に行く機会がなければ、こんなにチェスをやってなかったですね」

 あのー、うかがっていますと、チェスが「ハードだから」やっていると聞こえてしまうんですが?

「あ、そうですよ」

 名人は、何か変ですか、といいたげに口をとがらせた。

「強い人と対戦するのが好きなんです。将棋も、もちろん強い人ばかりとやってますけど(笑)、これくらいってわかるじゃないですか。レーティング2600の人ってどれくらい強いんだろうと思うと指す前から楽しみでわくわくします」

 しかし、オフにも勝負で疲れませんか。

「疲れるっていうのは時間的なことより、慣れてないからなんじゃないですか。慣れてくればそう疲れませんよ」

 羽生名人がチェスに転向してしまうのでは、と心配する声もあるんですが?

「たまたまチェスだから、将棋に似てるから気になるんでしょう。チェスの前にやっていたバックギャモンでも、海外の大会に出ていたんですよ。トッププレイヤーの人は、出すサイコロの目まで、やっぱりすごいんです(笑)。バックギャモンの前はモノポリーだったし、いつも、ゲームを何もやってないということはないんです。ほかの棋士が競馬や麻雀に夢中になるのと同じですよ」

 車内放送が小田原通過を知らせる。そろそろ「300キロの世界」に踏み込もう。

ゴールがないゲーム

(『対局する言葉』を見せて)これ以上考えていると狂気の世界に入ってしまう、と感じたことが、実際にあるんですね?

 少し考えてから、名人はいった。

「いや、ないですね」

 えっ、一度も?

「ええ、ないですね」

 それはやはり、そこまでいく前にどこかで自制しているからですか?

「自制するつもりはなくても、限界まで力を出しきるというのは難しいですね。いままで一局も、全力を出しきったと思える将棋はありません。指しているときはそのつもりでも、あとから見ると、そうじゃないことがわかるんです」

『対局する言葉』での話とは、ニュアンスが変わっている。

「マラソンみたいにゴールが決まっていれば限界もわかるんでしょうが、将棋っていつ終わるかわからない、ゴールが設定されていないゲームですからね」

 森内竜王は羽生対策として、ゴールを意識して体力を温存する指し方に変えた。羽生名人にはそもそもゴールという意識がない。竜王が名人の体力に驚嘆していた話をすると、名人はけらけらと笑った。

「体力は森内君にかないませんよ」

 正直、最近お疲れではないですか。

「年間89局指した年(平成12年度)よりは楽です。楽すぎます(笑)。それに、トップクラスをめざす人はどの世界でも、これをこなさなくてはいけないので」

 すべてを額面どおりに受け取れば、「300キロの世界」をおそれるどころか羽生将棋は底無しだ。そのうえ余暇にはチェスのハードさを求めている。

 名人はまだ変わっていきますか?

「ええ、それだけは間違いありません。なぜなら、その本でしゃべったことをいまはまったく覚えてないからです」

 変節につぐ変節ってとこです、と自嘲する名人を見て私は自分でも意外な言葉を口にしていた。かっこいいですね。

「どこがですか(笑)」

 破顔一笑して名人は、私をおいて品川駅で降りていった。

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まだ変わっていきますか、と問われて、

「ええ、それだけは間違いありません。なぜなら、その本でしゃべったことをいまはまったく覚えてないからです」

と答えているのが、本当に格好いい。

そして、無意識のうちに良い意味での変節をし続けていることが、羽生名人の強さと進化の根源なのだと思う。

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羽生名人がチェスをやる理由。

たしかに、何かの役に立てようとか思った途端に、それは趣味や楽しみではなくなる。

何かの知識を得よう、自己啓発をしよう、と思って恋愛をする人はいない。理屈抜きで好きになるから恋愛なのであって、そういった意味では趣味と恋愛は似ているのかもしれない。

ただし、趣味と恋愛は両立が難しいと古来より言われている。

自分を振り返っても、将棋世界や近代将棋やNHK将棋講座のバックナンバーがほとんど揃っていなかった年度がいくつかあって、それはそのような方面にエネルギーを傾けていた時期と一致している。

人生はなかなか難しい。