無敵四間飛車流盤外戦術

将棋世界2005年3月号、飯塚祐紀六段(当時)の「矢倉で強くなろう」より。

 新人だった頃のお話です。

 その朝、デビューからまだ日の浅い私は、大ベテランの先生との対戦ということで緊張気味に対局開始を待っていた。

 先生はやおら駒箱を開き、駒を並べ始める。しかし5一の定位置に盤も割れよと力強い手付きで空打ちをして打ち付けたのは玉ではなく、裏返った金だった。これには思わず噴き出してしまった。私はよく知らなかったのだが後で親しい先輩に聞いたところ、先生得意のいつものジョークだったらしい。

 そんなこんなで粛々と序盤戦を進めていると「四間飛車だ、四間飛車でいくぞ!」。ぼそぼそとつぶやく声が確かに聞こえた。だが組み上がってみれば似ても似つかぬきれいな相矢倉に。四間予告はいったい何だったのであろうとこれまたあっけにとられた。

 結果は幸いしたのだが、プロの将棋はやはり怖いな、など漠然と思ったりもした。しかしそこは経験の少ない悲しさ、まだよく理解してはいなかったと今にして思う。

 真のプロの怖さを知るのは、後日同じ先生に本物四間飛車で粉砕された、いわゆる「本気を出された」ときのことだった。

(以下略)

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ここに出てくる大ベテランの先生は、ほとんど100%に近い確率で故・佐藤大五郎九段だと断言しても良いと思う。

「この先生、ボケてしまったのかな」と思わせて相手を油断させる戦術だ。

対局当日、わざと間違った席に座り、本来の対局相手ではない棋士の名前を「◯☓君だったね」と微妙に間違って呼ぶ方式が最も有名。

本当にあった禁断の盤外戦術(3)

無敵四間飛車の佐藤大五郎九段。

壮年時代の個性溢れる逸話も多い。

豪傑列伝(2)

朝から闘志が充満している対局室

最短手数の将棋

佐藤大五郎九段自慢の一局

 

 

第74期名人戦第4局対局場「福寿会館」

羽生善治名人に佐藤天彦八段が挑戦する名人戦、第4局は広島県福山市の「福寿会館」で行われる→中継

福寿会館は、福山城公園内にあり、昭和初期に個人の別荘として建てられ、現在は福山市の市史編纂室及び貸会議室や貸茶室として使われている。本館、洋館の2つの施設で構成され、いくつかの建物が国の登録有形文化財に登録されている。

福寿会館の歴史は次の通り。

  • 藩政時代には幕府から預かった兵糧米を収蔵する城米蔵があった場所だった。
  • 明治時代、この近辺が民間に払い下がられ梨園に。
  • 1930年代、海産物商で削り節の考案者といわれ「鰹節王」と呼ばれた安部和助氏の別荘が建てられた→現在の福寿会館の建物
  • 福山大空襲では隣接する福山城天守が焼失する中で罹災を免れ、その後、所有権は個人に移ったが、福山通運創業者渋谷昇氏が買い取る。
  • 1953年、福山市に寄贈される。
  • 寄贈後は結婚式場となる。
  • 1973年からは、洋館は福山市の迎賓館に、本館は貸会議室や貸茶室に。
  • 1992年の新市庁舎完成により、洋館の迎賓施設は市庁舎へと移される。
  • 1997年、洋館が国の登録有形文化財(建造物)に登録される。
  • 2009年、洋館を一般開放。
  • 2012年、本館・西茶室・南茶室・西蔵・東蔵が国の登録有形文化財(建造物)に登録される。

〔福寿会館での対局の食事実績〕

福寿会館では2009年に名人戦第3局が行われており、将棋棋士の食事とおやつのデータによると、昼食は次の通り。

羽生善治名人 ◯
一日目 親子丼
二日目 シーフードピラフ

郷田真隆九段 ●
一日目 天ぷらうどん
二日目 ビーフカレー

この時は前夜祭が福山ニューキャッスルホテルで行われており、福寿会館内に食事施設はないので、昼食も福山ニューキャッスルホテルからデリバリーされたものと思われる。

福山ニューキャッスルホテルのレストランのメニューを見てみたい。

◯カフェ&ビュッフェレストラン クレール

ハンバーグ、ビーフカレー、気まぐれパスタなどのバイキング。

◯グリル・ロジェ

ステーキランチ(国産牛ロース肉150g)2,900円

◯和食堂 鞆の浦

週替わり定食 海風 2,000円

◯本場中国四川料理 又来軒

炒飯 550円
中華丼 800円
麻婆丼 850円
あんかけ炒飯 1,350円
フカヒレ姿のせ炒飯 3,500円
あんかけ焼きそば 950円
揚げそば 950円

〔昼食予想〕

今回も理屈抜きで。昼食の予想は次の通り。

羽生善治名人
一日目 シーフードピラフ
二日目 天ぷらうどん

佐藤天彦八段
一日目 ハンバーグ定食
二日目 ビーフカレー