「控室を出ると、エレベータ前の老人席のはしで、先崎君が頭をかかえ込んでいた」

昨日の話の続き。

将棋世界1999年9月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 終わりまで見せてもらい、対局室に行くと、青野九段が、信じられないポカをやっていた。そして、先崎七段も妙手を食らって色をうしなっていた。その瞬間を見ていたが先崎七段は髪をかきむしり、「ヒェーッ」と奇声を発したような気がしたが、私の空耳だったか。

 妙手が出る直前の局面が14図。

先崎南1

 先崎七段の攻めがきびしく、圧倒したかに見えたが、南九段もうまく手に乗って入玉した。とはいえ、南優勢というわけではない。むしろその逆で、▲7九歩と受けておけば、先手はわるくとも持将棋にはなった。

 時間もないし、負けられない順位戦であるから、たいていの棋士は、▲7九歩のような負けない手を選ぶだろう。さっきの話ではないが、丸山八段なら、どう指すだろうか。

 先崎七段は、▲8一馬と最強の手を選んだ。そのときの手つきはさっそうとしていた。

14図以下の指し手
▲8一馬△6八金▲同金△同竜▲7八金△7九角▲9八玉△8五歩(15図)

 ▲8一馬は次に▲5四馬、▲7五銀などと後手の攻め駒を取っ払い、楽々入玉しようとしたものか。もちろん、△6八金は読んでおり、受けきる自信があった。

 ▲7八金とはじいた場面を見ていて、力のある人の指し方は違う、と感心した。

 南九段は1分将棋である。だが秒読みに追われているという様子もなく、静かに△8五歩が指された。

 この意味はすぐわかった。将棋にはいい手があるもんだな、と思った。先崎七段がこれを見落としていたことも気配でわかった。寄せの自信が過信となったのだ。

 控え室に戻り、神谷七段に「△8五歩で受けがないね」と言うと「そうみたいですね。彼の終盤は、ボクなんかと比べものにならないくらい読んでいて、この間も、ひどい目にあわされました」。

 どうしたんだろう、と首をヒネった。

 15図は、どうにもならない。

先崎南4

 ▲8五同歩は△8六歩と打たれ、▲6八金と取っても、黙って△8五香で受けなし。その次、▲6九飛で△3九金と使わせるあやはあるが、そうなったとしても、▲7七金寄に△6八角成と取られるからいけない。

 戻って、▲6八同金では、▲7七金打と千日手含みで粘るしかなかった。

15図以下の指し手
▲8八桂△8六歩▲同金△同香▲8七歩△7六金▲7七金打△8七香成▲同金寄△8六歩(16図)

先崎南3

 ここからの粘りは見るにしのびず、控え室で、神谷、北浜両君と雑談していた。

 やがて、ふらふらと先崎七段が入って来た。「どうだった」と声をかけると、何か呟き、すぐ出て行った。

 入れ替わるように、青野九段が来て、こちらもうつろな顔である。「ひどい、ひどいな、3手詰をうっかりした」と呟いている。

 北浜六段も三浦六段にやられたのだが、こちらは「終盤は将棋にさせてもらえませんでした」とさっぱりしていた。負け方次第で、局後の表情も違ってくる。ここにいる者で、いい思いをしたのは神谷七段だけ。そこで「今日は神谷君におごってもらおうか」と話が決まり、帰ることにした。

 控え室を出ると、エレベータ前の老人席のはしで、先崎君が頭をかかえ込んでいた。「いっしょにどう」と声をかけたが、反応がなかった。

 こちらでは三人が顔を見合わせ、そっとしておこうと、そのままエレベータに乗り込んだ。北浜君は「ああでなければいけないんですね」と感心していた。

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いつもの先崎学七段(当時)とは思えないような、深刻な表情を見せる先崎七段。

そして、一度は声をかけたものの、そっとしておいてあげようと河口俊彦六段、神谷広志七段、北浜健介六段。

東京将棋会館4階のエレベータ前の、静かで奥の深いドラマ。

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南芳一九段に敗れて順位戦2勝1敗となった先崎七段。

「ああでなければいけないんですね」と感心した北浜健介六段(当時)の言葉通り、先崎七段はこの期、順位戦でA級への昇級を決める。