「アイツが振るならオレも振る」

将棋世界2001年3月号、鈴木大介六段(当時)の「鈴木大介の振り飛車日記」より。

 畠山成六段との順位戦。畠山成六段は畠山鎮六段と現役棋士唯一の兄弟棋士である。初対局だが棋風は手厚いイメージであった。というのは昔、近藤四段に「鈴木君、畠山兄弟の棋風は名前と逆で兄貴の方が”マモル”で弟の”鎮”(マモル)が攻めるから気を付けるように」と言われていたからである。これは妙に説得力があり、兄弟で一緒に将棋をやっていれば、どちらかが攻めている時はどちらかが守っている訳だから当然なのであろうか?

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 将棋は序盤で早くも4手目で勝負所(2図)となった。実はこの局面、先後が逆で僕が先手の時よく使っていた”スピード石田流”(僕は子供の頃こう教わり、この名前が好きなのだが普通は”升田式石田流”と呼ぶ)狙いなのだが、対棒金に自信がなく、僕は使わなくなってしまった(たまには気分を変えてやるかもしれませんが…)という事で気分は△8四歩とやりたかったが、前日読んだ杉本六段著の相振り定跡書のフレーズが傑作で、頭の中で蘇った。

「アイツが振るならオレも振る」(カッコエエ。これこそ振り飛車党の鑑のような言葉ではないか!)アイツが振るなら…もう僕の中ではそれしかない。オレも振る、とばかりに気合いの△3五歩だ。

(以下略)

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相振り飛車の場合、本来は「コイツが振るならオレも振る」が正しい言い方なのだろうが、広告コピー的には「アイツが振るならオレも振る」の方がたしかにインパクトがありそうだ。

相振り革命〈3〉

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升田式石田流が出現する以前、3手目に▲7五歩(後手番なら4手目に△3五歩)とするのは「早石田」と呼ばれていた。「早石田」を感覚的に英語混じりにすれば「スピード石田流」となるのだろう。

もっと昔は「竹槍戦法」とも呼ばれていたことがあったようだ。

▲7六歩△3四歩▲2六歩△3五歩▲2五歩△3二飛▲4八銀△3六歩▲同歩△8八角成▲同銀△5五角▲3七銀△3六飛(A図)

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が、まさに鋭い竹槍のようなイメージ。

しかし、A図は後手の無理攻めとされており、後手は幸せにはなれないと各種の本で解説されている。

その攻めの鋭さから”竹槍”と言われたのか、一度は成功しても二度目からは対策を立てられ失敗する奇襲戦法だから”竹槍”と呼ばれたのか(竹槍は一度使うと貫通力が鈍るため使い捨てだった)、どちらかはわからないが、まあ、早石田や升田式石田流のようなきちんとした名前が付いて本当に良かったと思う。

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戦国時代、戦場での死亡原因は次のようになっていたという。

  1. 弓(後には鉄砲)60%
  2. 薙刀(槍)20%
  3. 投石
  4. 刀(10%未満)

槍の中には竹槍も含まれていたはずであり、金属を使わない武器の中では竹槍は最強の武器となるのかもしれない。

それにしても、日本刀が戦場の主役ではなかったとは、言われてみれば理解はできるのだが、やっぱり意外だ。

日本刀が戦場で「主要な武器」になったことは一度もない! 殺傷率は「投石」以下(現代ビジネス)