「欽ちゃんと将棋を指してください」

将棋世界1981年2月号、石田和雄八段(当時)の「中盤戦の考え方」より。

 12月のある日、自宅で新聞を拡げていたら将棋世界編集部よりTEL。はて?原稿は渡したはず、と思いつつ受話器を取りますと

「キンちゃんと将棋を指してください」

「はあ、将棋を指すのはいいですけど、キンちゃんて?」

「どんとやってみようのキンちゃんです」

 聞けば萩本欽一さんは1年ぐらい前から将棋のとりことなり、機会があればプロに教わりたかったとのこと。どんないきさつで私のところに役目が回ってきたのかわかりませんが、喜んで引き受けさせてもらいました。実は私も前々からキンちゃんの大ファンだったのです。逢ってみてビックリしました。テレビで見たそのままなんです。飾りっ気がまったくなくて、ますますファンになってしまいました。

 話し出せば、いつまでも話をやめないのが私の悪いクセ。”何やってんだ!”と読者の方からしかられそうです。本題に入りましょう。

(以下略)

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将棋世界1981年2月号、奥山紅樹さんの「新春二枚落対局 欽ちゃん堂々の勝利 -対石田和雄八段戦-」より。

 キンちゃんこと萩本欽一さんが、内藤國雄九段と某テレビ局の楽屋控え室で二枚落を指した―というニュースが棋界関係者の耳に入ってきたのは、昨年晩秋のことだった。

 出番待ちのわずか15分を利用しての猛烈な早指しの結果、

「ほう……これならアマ初段は固いですよ。本スジに近い」

 と内藤九段がいったとか、いわなかったとか。

 それ以来、キンちゃんの将棋熱がぐんぐんと上がり、東京・品川の萩本事務所には、

「名人 萩本欽一」「八段 誰某……」

と事務所関係者の順位がズラリ張り出され、ひまさえあれば駒音がひびいている、という。

 よし、ではわれらがキンちゃんに本格的な対局の場を―と関係者が話し合って、プロを相手の新春二枚落対局となった。

 上手は石田和雄プロ。昨秋めでたく結婚にゴールイン、愛妻の健康管理よろしきを得て各棋戦にニラミを利かせ「81年もっとも活躍する棋士の一人」と、もっぱらの評判である。

 その上、この人は下手にカラいこと定評がある。さて、キンちゃんどこまでやるか―棋界スズメの耳目はがぜん盤上に集中した。

(中略)

 浅草劇を降り出しに、坂上二郎さんと組んでの「コント55号」で抜群の人気を獲得したキンちゃんのことをいま知らぬ人はいない。

 可愛い女優さんの衣裳をジャンケンポンで一枚ずつ脱がせていく”野球拳”番組に賛否両論ごうごうとわき、世のPTAママたちのきつーい抗議で企画中止となったハプニングなど、萩本さんの作り出す笑いの渦は、時にお茶の間を騒然とさせながら、常に高いTV視聴率を保っている。

「3割打つよりも、ホームランを!」とは喜劇役者・萩本欽一さんの信条。「欽ドン!」「欽どこ」番組でアドリブ連発の笑いの速攻は「テレビに革命をもたらした」と各局TVディレクターをうならせている。

 うすねずみ色のスーツに、赤と白のストライプのネクタイをしめた萩本さんは、「よろしくお願いします」と石田プロに深々と一礼。キチンと正座のまま、緊張した表情だ。当の石田八段をはじめ、関係者が何度も「ひざを崩してラクにしてください」とすすめたが、「いえ、先生に教えてもらうのですから」と、萩本さんは一局終了の最後まで正座姿勢を崩さなかった。

(中略)

 対局終了後にわかったことだが、萩本さんの”将棋の師匠”は、ほかならぬ石田八段だという。

 多いときには月間のTV出演番組が90本にもなるという萩本さん。分秒きざみの多忙なスケジュールに「ストレスを解消させ、気分転換をはかる」絶好の趣味として将棋に目をつけた、という。

「麻雀はどうしても長引いて徹夜になり非能率で不健康。短時間で時と場所を選ばず、みんなで楽しめるものは?……と考えているうちNHKテレビで石田八段の将棋初心者講座をみて、『これだ!』と思いましてねエ。さあそれから初心者講座をのこらずビデオにおさめ、ヒマさえあったらビデオテープを再現、繰り返し繰り返し将棋を勉強しました」(萩本さんの話)

 だからこの日、顔を合わせたとき、両者たがいに「ほう……テレビでみている通りの顔だなア」と思ったそうだ。

(中略)

 しばらく盤面を見ていた萩本さんは、一つ二つうなずき、ピシリと▲5三歩。

11図以下の指し手
△2一金▲5二歩成△2二玉▲4一竜△1四歩▲4二と△3六歩▲3二と△1三玉▲2一竜△3七歩成▲同銀まで、90手にて下手勝ち。

 銀の取られを気にしないでと金をつくろうという、堅実を越えて上手顔負けのいやらしき寄せ。すばらしい好手である。

「いやいや、これはこれは……」

 とたんに石田八段が破顔一笑して、この瞬間、盤上の緊張は解けた。上手が「内心負けを言い聞かせた」のである。

「一度くらい王手を掛けないとねェ……」

 石田プロは苦笑しながら△3七歩成。下手▲同銀をみて「これまでです」と駒を投じた。

 上手投了の瞬間。

「うわーっ……」思わず萩本さんの顔がくしゃくしゃにほころびる。

 このあと石田和雄八段から、将棋連盟を代表して正式の二段免状が贈られると「本当に、二段といっていいでしょうか」と何度も念を押す萩本さん。石田プロの「大丈夫です。しっかり実戦を積めば、もっと強くなりますよ」の太鼓判に、「ひゃァ……」と身を縮めて照れっぱなし。その瞬間、プラウン管でおなじみ、われらがキンちゃんの笑顔が対局室を一足早い春のムードに包んだ。

(以下略)

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あの萩本欽一さんの、全盛時代の話だから凄い。

テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、フジテレビ系『オールスター家族対抗歌合戦』などのレギュラー番組はあったものの、フジテレビ系『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が終了し、その後番組の『欽ドン!良い子悪い子普通の子』が始まる前の時期だったから、このような時間が取れたのかもしれない。

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石田和雄八段(当時)の「逢ってみてビックリしました。テレビで見たそのままなんです」が、とても可笑しい。

石田和雄九段が奥様と知り合ったのは、1979年度の石田八段のNHK将棋講座を見て石田ファンとなった奥様が、ファンレターを書いたり、石田八段のNHK文化センターの将棋教室へ通ったことがきっかけ。

石田和雄八段(当時)の結婚

萩本欽一さんも石田八段のNHK将棋講座に魅了されている。

その時の石田講座を見てみたくなる。

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萩本欽一さんは二枚落ちで、中飛車から仕掛けてから飛車を7筋に転回し、見事に攻めて勝っている。

11図での▲5三歩もなかなか指せない好手。

本当に実力があることがわかる。

1990年代初頭には、将棋マガジンで萩本欽一さんとプロ棋士の駒落ち戦が連載されることになる。

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2001年、山田久美女流三段(当時)と萩本欽一さんの対談
「欽ドン!良い名人・悪い名人・普通の名人」

1996年、三浦弘行棋聖就位式のお祝いに駆けつけた萩本欽一さん
三浦弘行棋聖誕生前夜