将棋世界2003年2月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
そして、田中寅彦九段が45歳になっていたのには驚いた。そんな年になったのか。気やすく「寅ちゃん」などと言えない。注意しなくては。
もっともこの世界は、子供のころから顔を付き合わせて年をとるので、つい昔の愛称が出てしまう。松田茂役九段、加藤一二三九段は、50近くになっても「シゲちゃん」「ピンさん」と仲間や先輩から言われていたし、丸田大長老は五十嵐大長老を、今でも「イガちゃん」と呼ぶだろう。中原誠永世十段は、若いころは「マコちゃん」だったが、名人になると誰もそう言わなくなった。
(以下略)
——————
以前使われていた、あるいは現在も使われている棋士の世界内での棋士の愛称は次の通り。(抜けはたくさんあると思いますが、ご容赦ください)
- 羽生善治二冠:ゼンジ(奨励会の頃)、へびくん(小学生時代のあだ名、1995年頃に将棋のパソコン通信で羽生六冠が使っていたハンドル名でもある)
- 佐藤康光九段:やっくん(みっくん、は婚約時代に奥様が呼び始めた)
- 郷田真隆九段:郷ちゃん(先輩棋士が使う)
- 先崎学九段:先ちゃん(先輩棋士および親友の郷田九段が使う)
- 丸山忠久九段:丸ちゃん(先輩棋士が使う)
- 米長邦雄永世棋聖:ヨネさん
- 二上達也九段:ガミさん(本当はふたかみだが、ガミになっている)
- 大内延介九段:エンちゃん
- 鈴木大介九段:大地くん(奨励会の頃。水泳の鈴木大地選手が語源)
- 中田宏樹八段:ニヒル、その後はデビル(奨励会旅行のトランプで大勝ちしてから)
- 中田功七段:コーちゃん(中田功七段の好きな飲み物は午後の紅茶)
- 剱持松二九段:ケンちゃん(剱持九段に顔が似た奨励会員のあだ名がケンちゃんになったこともある)
- 勝浦修九段:カッちゃん
- 武者野勝巳七段:ムーさん
- 植山悦行七段:ウエさん
- 中井広恵女流六段:広ベエ
- 清水市代女流六段:市ちゃん
- 高橋道雄九段:タカミチ
- 山口英夫八段:英ちゃん(英ちゃん流中飛車の語源)
- 村山聖九段:肉丸
- 村山慈明七段:ジメイ
——————
私が将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞(2009年)を受賞させていただいた『広島の親分』を書くとき、戦後から昭和40年代までの広島抗争のことをかなり詳しく調べた。
その中で、「あれっ」と意外に感じられたのが、二代目共政会の服部武会長(映画『仁義なき戦い』では小林旭さんが演じた)の若い頃のあだ名が「ハットン」であったということ。
非常な怖面の組織とハットンという言葉の響きのギャップが凄いと思った。
今日の記事のタイトルは「昔の名前で出ています」。
小林旭さんの大ヒット曲名だが、小林旭さんとは関係なくつけたつもりだったが、小林旭さんが関係する話を思い出してしまった。
『広島の親分』は将棋ペンクラブ会報で5回に渡って連載したものだが、編集部の意向で伏せ字にさせられてしまったところが一箇所ある。それがどこかを探していただくのも一興かと思う。