2017-09

インタビュー・対談

ひふみんアイを一番最初にやった棋士

将棋世界1985年4月号、加藤治郎名誉九段の「この面白い芝居からは、目が離せないねえ」(前編)」より。聞き書きは香太さん。  大山-升田戦ていうのは異邦人同士の戦いでね。二人は直接口を交わさず、立会人の我々を介して話をするんだ。面白かったの...
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「昔の名前で出ています」

将棋世界2003年2月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。  そして、田中寅彦九段が45歳になっていたのには驚いた。そんな年になったのか。気やすく「寅ちゃん」などと言えない。注意しなくては。  もっともこの世界は、子供のころから...
タイトル戦の食事

米を持参しなければならなかった名人戦挑戦者決定戦

将棋世界1985年10月号、名棋士を訪ねて「激動の棋界を生きて 萩原淳九段の巻」より。 萩原 戦後始まった順位戦は日本ハップが金を出してくれなかったら、いずれ出来ても大分遅れていたよ。第1期でわしは塚田(正夫名誉十段)、大野(源一九段)と1...
インタビュー・対談

板谷四郎九段「相手の人間的な欠点が分かると恐さがなくなるんだ」

昨日からの続き。 将棋世界1985年9月号、名棋士を訪ねて「東海棋界を守って五十年 板谷四郎九段の巻」より。 ―終戦後の先生の昇進は早かったですね。昭和二十五年にはB級1組で6勝2敗でA級八段に。この年は第一期九段戦でも準優勝をされたり、木...
インタビュー・対談

戦場の死地から生還した板谷四郎九段

将棋世界1985年9月号、名棋士を訪ねて「東海棋界を守って五十年 板谷四郎九段の巻」より。 ―失礼ですが、先生の生い立ちなどは知らないファンが多いと思うんです。まず、その辺からお話し願います。 板谷 私は大正2年6月に三重県伊勢市に生まれた...