中原流の対局相手への気配り

将棋ジャーナル1984年7月号、才谷梅太郎さんの「棋界遊歩道」より。

 我慢できるタイプといえば、まず思い浮かぶのが中原である。深く、広く、そして何よりも温なのがいい。名人位にこだわらない、と言っては嘘になってしまうが、最近の中原には時の過ぎゆくさまを、にこやかに見送る人生の余裕が感じられる。

 この中原に匹敵し、人生の遊歩道を知っているのが桐山であろう。毎年の安定した勝率。そしてA級定住者でありながら、あれだけ地味な印象をうける棋士も珍しい。

 この二人は、とにかく穏やかである。筆者は、中原が八段になりたてのころ、昼食休憩中に観戦の老人に、お茶をサービスする姿をみたことがある。またあるとき、中原は加藤(一)と対戦していた。そして昼食注文の際である。

 まず先輩の加藤が、例によって元気よく、そしてていねいに、

「ワタクシは、天丼の上をお願いいたします」

 と言うと、これを聞いた中原はしばし黙考ののち、やや首をかしげるようにしながら、

「私は普通の天丼でけっこうです」

 と答えたのである。ところが、それから数秒すると、

「あっ、やっぱり上にしといてください」

 と、中原にしては珍しく、やや慌て気味に訂正したのであった。

 はた目には、食事といえども対戦者の加藤に対抗意識がはたらいた?かに見えたが、実際はそんなことではなく、

「まちがえて食べちゃうと悪いですから」

 ということであった。そういえば、あそこの日本ソバ屋のドンブリもんは、上でも並でも器が同じだったと、まわりの人間が気がついたのは少しあとのことである。

 このあたりの感覚は、大筋で桐山とも共鳴する部分が少なくなく、二人は同じ我慢できるタイプの中でも特出した存在ではなかろうか。

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中原誠十六世名人らしさ溢れるエピソード。

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普通であれば天丼の上のほうが内容が豊富で、値段のことを別とすれば、我慢にはならないような感じがするが、天丼の場合は、うな重(松)やカツ丼(上)などとは事情が違い、上にしたからといって一概に良いとは言えないようだ。

例えば浅草の天ぷらの老舗での上天丼と並天丼は、

上天丼 1,820円
海老/白身魚/小かき揚げ

並天丼 1,460円
海老/白身魚/イカ/野菜(なす)

小かき揚げよりもイカやナスを楽しみにしている人にとっては、並天丼の選択しかありえない。

天丼のチェーン店でも、

上天丼 690円
海老2本/かぼちゃ/いんげん/れんこん

並天丼 500円
海老/かぼちゃ/いんげん/いか/きす

天丼には白身魚とイカが必須という人には、並天丼のほうが好ましい構成になっている。

そういうわけで、この時の中原十六世名人も、白身魚とナスがししとうに変わり、海老が1本増えてしまうようなことを甘受する決断をしたのだと思う。