今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。
最後は、中野さんのコメントを記事にさせていただいたもののまとめを。
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〔郷田真隆九段の奨励会時代〕
→「ボクがこのまま四段に上がれなかったら、ボクの将棋は誰にも見てもらえなくなっちゃうんですね」
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〔郷田真隆六段(当時)がSPEEDの4人の中で誰を一番に選んだか〕
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〔羽生世代の雀風〕
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〔「弱いのは見てればいいんだぞ」という言葉が、森内俊之六段(当時)の得意のセリフなのか、郷田真隆王位(当時)の得意のセリフなのか、それとも二人とも得意なセリフなのか〕
こちらを先にご覧ください→「今、森内がウチに来てるんだよ。後から康光も来て、明日になれば郷ちゃんも来るんだけど」
その次にご覧ください→若手棋士が遊びに行った家
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〔森内俊之九段、中田宏樹八段の若い頃のあだ名の名付け親〕
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〔森信雄七段の結婚、村山聖九段の麻雀〕
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〔加藤一二三九段と三浦弘行九段の冷房と暖房〕
こちらを先にご覧ください→必死に笑いを噛み殺していた三浦弘行八段(当時)
その次にご覧ください→加藤一二三九段、真夏の嘆き
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〔スナックでの谷川浩司名人(当時)〕
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〔広津久雄九段の日本中誰にも真似のできない飲み方〕
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〔普通では済まないスキー〕
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中野さん、ありがとうございました。