将棋世界2003年4月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
2月14日
夜戦に入ったころ、控え室に森九段が来て、珍しいことに継ぎ盤の前に座った。そして、そこらに散らかっている棋譜を集めて並べはじめた。
部屋には何人かの棋士と記者がいたが、みんなそれとなく壁の星取表に眼を遣った。この時期は、部屋にいる棋士の星を頭に入れておかないと、まずい話をしてしまいかねない。そういった心くばりを考えていると、順位戦も終末近しを感じさせられる。この日はB級2組順位戦の9回戦と、1組の10回戦が行われている。
やがて森九段は関西の結果を聞き、小林九段が負けたのを知ると「いよいよ首のかかった勝負か。嫌な時期になったね」と苦笑した。
最終戦は、森対小林で、3勝同士だから負けた方がまずい。
森九段は関西から送られて来た途中経過の棋譜を探し「小林君の将棋のはないのかね」と言う。一同は、関西なら、井上八段対鈴木(大)七段戦を見たいのだが、森九段の関心事は違う。
ま、最終戦に備える気持ちはよくわかりますけどね。私が「今頃勉強したって遅いよ」と言うと、森九段は照れて「そりゃそうだけどね。でもいいじゃない」そう言ってケラケラ笑った。
数局並べて森九段が帰ると、入れ替わるように石田九段が入って来た。ご機嫌の様子である。
「どうしました」と私が声をかけると「負けたんで、一杯飲んできた。いかん、順位戦は年の瀬だね」例の石田節が出たあと「ところで、わしは助かっとるだろうな。大丈夫と計算しとったんだが」
たまたま星取表の前に立っていた神谷七段が素早く計算した。確かめて、「ウン?」という顔。
石田九段は「危ないかね」、テーブルの上の星取表を手に取った。これまた、今からでは遅い。
「まぁしょうがないか。最後は頑張ろう」そう言って、よろけるように出て行った。
(以下略)
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森雞二九段は、この日、泉正樹七段(当時)に敗れて3勝6敗、石田和雄九段は木村一基六段(当時)に敗れて4勝5敗。石田和雄九段は降級点が1付いている。
このような状況での対局後の控え室。
2月の寒さが身にしみるような空気感。
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順位戦B級2組最終戦は、森雞二九段が小林健二九段に勝ち4勝6敗、石田和雄九段が中川大輔七段(当時)に敗れ4勝6敗。
結果的には森雞二九段も石田和雄九段も助かっている。(3勝7敗なら降級点が付いた)
河口俊彦七段(当時)は「今からでは遅い」と書いているが、森雞二九段の「そりゃそうだけどね。でもいいじゃない」、石田和雄九段の「まぁしょうがないか。最後は頑張ろう」という思いが、勝敗を超越して、残留する念となったのだろう。
「助からないと思っても助かっている」「諦めたらそこで試合終了」が当てはまるケースは至る所に存在すると思う。