「名将とは名人と王将を合わせたくらいすごいんだ」

将棋マガジン1984年4月号、グラビア「内藤九段、二度目の名将」より。

 中原十段を2-0で破り、名将戦二回目の優勝をはたした内藤九段の表彰式が、2月3日に東京・文藝春秋本社で行われた。会場は祝福にかけつけたおよそ100名の人々でいっぱい。そのなかであいさつに立った内藤九段は、「大事な対局とか何かいいことのある前日はつい呑み過ぎてしまう。きのうも早く切り上げようと思いながら『名将ってなに?』ときかれて座り直し、『名将とは名人と王将を合わせたくらいすごいんだ。だから俺は谷川や森安よりエラいんだぞ』とか言っているうちに、いつもの通りになってしまった」と笑わせたあと、「今回の第2局は午後1時から休憩なしで戦ったが、本当に勝負を争っている感じがした」と語り、最後は「これからも頑張る」と力強く結んだ。この間、言い澱むこと一度もなし。まさに流れるような名調子で、男でも惚れ惚れさせられてしまう、実にすばらしいスピーチだった。

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名将戦は、1973年から1987年まで開催されていた週刊文春主催の公式棋戦。決勝戦は三番勝負だった。

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内藤國雄九段が表彰式の前夜に行った店が、大阪なのか神戸なのか東京なのかはわからないが、どちらにしても、谷川浩司名人(当時)や森安秀光八段(当時)もその店では顔なじみだったと推測できる。

「明日は名将戦の表彰式があるから、今日はそろそろ帰らなきゃ」と立ち上がろうとした内藤九段に、店の若い女性が「名将って何なの?」と聞いてきた展開、なのだろう。

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私は1977年から約21年間、週刊文春は毎週欠かさず読んでいた。

ところが、名将戦の観戦記のページがあることは十分に認識はしていたけれども、観戦記を読んだことはほとんどなかった思う。観戦記のページを飛ばして読んでいたというべきか。

これには大きな理由があった。

一つには、将棋に夢中になり過ぎて第一志望の高校を落ちてしまって以来、私が将棋を避けていた、将棋から離れていたこと。

更には、相居飛車の将棋が多かったということも追い打ちをかけていたと思う。

今の私からは考えられないような時代。

それが、様々なきっかけで現在のようになっているのだから、世の中というものはわからない。

どのようなきっかけで将棋に戻ったのか、なぜ週刊文春を毎週読まなくなったのかについては、また別の機会に。