「将棋界の一番長い日」の元の言葉は「棋士の一番長い日」だった

将棋マガジン1984年5月号、毎日新聞の加古明光さんの第42期名人戦挑戦者決定リーグ最終日「挑戦者は森安八段!」より。

 将棋界の大みそか――各クラスの最終局、とりわけA級の最終日が近づくと、かすかな緊張感を覚える。当日が迫るにつれ、その緊張の糸は次第に張りつめてくる。

 棋士とて同様だろう。「いよいよ」「ようし」の気概が表情に現れる。最終日の描写を何年前だったか、新聞紙上で”棋士の一番長い日”と書いた。この日が訪れるたびに、新たな表現はないかと頭をひねったが、ボキャブラリーの貧困からか、これにまさる言葉は浮かんでこない。闘う棋士も、盤外で結果を気にするファンも、この日は一年中で最も長い一日だと思う。この日でなければ生まれないドラマがある。歓びがあり、哀しみが漂う。

 ドラマチックだからこそ、ファンの関心も昂まる。後述するが、将棋会館道場で行われた大盤解説に、300人を超えるファンが集ったことは、並のタイトル戦以上だ。誰かが栄誉をつかみ、確実に二人は涙するドラマ性――。

(以下略)

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「将棋界の一番長い日」という言葉が有名だが、元の言葉は「棋士の一番長い日」だったこと、この言葉を考えたのは加古明光さんであったことがわかる。

「この日が訪れるたびに、新たな表現はないかと頭をひねったが、ボキャブラリーの貧困からか、これにまさる言葉は浮かんでこない」と書かれているが、名コピーであったからこそ、この言葉に優るものが出てこなかったと言って良いだろう。

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”一番長い日”は、1967年の映画『日本のいちばん長い日』を連想して付けられた可能性が高いと思われる。

『日本のいちばん長い日』は、御前会議において降伏を決定した1945年8月14日の正午から玉音放送が放送された8月15日正午までの24時間が描かれた映画。

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今年のA級順位戦最終局は3月2日(金)に静岡市の浮月楼で行われる。

第76期将棋名人戦第0局(A級順位戦最終局):静岡市

”名人戦第0局”というコピーには賛否両論があるようだが、個人的には定着するまで100年くらいかかるような気がする。あるいは第二の”E電”になるか。

6月から3月までのA級順位戦全ての対局を”名人戦第0局”というのならわかる。

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将棋マガジンの同じ号には、森雞二九段の「イナズマ流」の起源についても載っている。

将棋マガジン1984年5月号、スポーツニッポンの松村久さんの第33期王将戦七番勝負第5局〔米長邦雄王将-森雞二八段〕観戦記「米長、4-1で防衛!三冠王揺るがず」の米長王将・森八段語録集より。

1984年1月10日

「イナズマ流がいいかな。とにかく面白い将棋をお見せしますよ」(森)――終盤の魔術師にかわるニックネームが何かないか?と聞かれて。

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他の人がつけたのではなく、森雞二九段自身で名付けたものが定着した形。

森雞二九段の弟子の里見香奈女流五冠の「出雲のイナズマ」も、1984年1月10日が起源ということになる。