「ボク達を、もうA級じゃないと思っているんだよ」

将棋マガジン1984年12月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

午後6時

 大広間では二上-板谷戦(順位戦)と青野-田中(寅)戦(棋王戦)の二局が行われている。

 このところ本欄に載った田中の将棋は、すべて負けていたし青野もさっきの対真部戦でわかるように婚約ボケみたいだ。つまり絶不調同士の対決が、青野-田中戦である。それは当人達もよくわかっていて、自分の力に信がおけない、きっと大ポカをやるにちがいない、といった顔で指している。それはともかく、いずれあるA級残留をかけた対決(当人達もそれは覚悟している)に備えて、ここはどうしても勝って自信をつけたいところだ。

 夕食休みが告げられると、板谷が、田中と青野にステーキを食べようと誘った。体力派は食べる物からしてちがうのである。さて、食事が済むと、板谷がさっと立って全部の勘定を払った。将棋界の慣習(大げさだが)では、飲んだり食べたりの勘定は、ワリ勘ということは少なく、上位の者か先輩がおごる。この場合は、板谷と私が先輩だが、クラスは青野と田中が上。で、ワリ勘が順当というところだろう。板谷がレジに行っている間、青野と田中はなにやらぶつぶつ云っていた。

「ボク達は、もうA級じゃないと思っているんだよ」

「そうだろうね。でも二人に一人は助かるんですよね」

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この期のA級順位戦は、大山康晴十五世名人が病気休場のため、降級は1人。

この文章の時点で、青野照市八段(当時)も田中寅彦八段(当時)もA級順位戦0勝3敗という状況。

板谷進八段(当時)はB級1組。

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対局中の二人をステーキ店へ誘って、なおかつ勘定を全て持ってしまうのが、東海の若大将(といっても、この時43歳だが)・板谷進八段らしいところ。

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結局、この期のA級順位戦は、加藤一二三九段(2位)、青野照市八段(8位)、田中寅彦八段(10位)の3人が2勝7敗で並び、田中八段が降級してしまう。