将棋マガジン1985年8月号、「公式棋戦の動き 第8回若駒戦」より。
関東奨励会期待の星・羽生善治三段に関する情報を、少しお伝えしましょう。ん?ダメダメ。そんなに近寄っちゃ。この線から中へ入らない。
昭和45年9月27日生まれの14歳。57年、第7回小学生名人戦で優勝。12月2日、6級で奨励会入り。58年2月3日、9勝3敗で5級。3月28日、4級。5月11日、3級。7月7日、2級。8月24日、1級。いずれも6連勝。59年1月11日、12勝4敗で初段。9月10日、14勝5敗で二段。60年4月25日、12勝4敗で三段。名人候補と騒がれるだけのスピード昇級だ。
8図は対高田戦。ド必敗の将棋を頑張り抜いて投了一手前の局面。165手目▲4六桂打で、熱戦にピリオドを打ったのである。恐るべし天才少年ハブ。
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羽生善治竜王の三段以前の昇段・昇級の日付が書かれている貴重な文献。
四段以降の昇段日付は次の通り。
1985年12月18日 四段
1988年4月1日 五段
1989年10月1日 六段
1990年10月1日 七段
1993年4月1日 八段
1994年4月1日 九段
こうやってみると、6級から始まって九段になるまでの間に、七段時代が相対的に一番長かったことになる。(僅差で次が四段時代)
もちろん、1989年に初タイトルの竜王を獲得して以降、羽生竜王が段位で呼ばれることは一度もなかったわけではあるが。(1990年に竜王を失冠して1991年に棋王を獲得するまでの期間は前竜王だった)
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当時の将棋世界、将棋マガジン、近代将棋を見ても、意外なほど羽生善治奨励会員に関する記事は少ない。
まだ中学生だし、奨励会の間は周りで騒ぐようなことはせずに、将棋だけに打ち込めるよう静かにしておこう、ということだったのか、あるいは、ここまで凄い棋士になるとは予想をしていなかったか。
もしかすると両方の要素があったのかもしれない。
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どちらにしても、この直後から、羽生善治三段(当時)の名前が将棋雑誌の記事にも登場しはじめるようになる。