名人芸の返し技

将棋マガジン1985年7月号、米長邦雄三冠(当時)の「本音を言っちゃうぞ! 第11回 内藤國雄九段」より。

米長 天は二物を与えないものでね、神は大山さんに将棋の強さは与えたが髪の毛は奪ってしまった(笑)んだな。まあ、冗談はともかくとして、内藤さんは大山将棋は尊敬していると思う。大山将棋の素晴らしさというのはプロ棋士ならみんなよく知っているわけだからね。みんなが尊敬しておる。内藤さんも多分、俺と同じくらいに尊敬しとるんだろうと思う。大山さんの将棋そのものはね。

 また、そういう将棋を指す大山さんは尊敬しておるんだろう。ところが、一方では軽蔑しておる。腹の中ではだよ。俺みたいに口に出したらえらいことになる(笑)。

 で、この間、本音?が出たんだろ、ポロリと。将棋ジャーナルか。

 将棋ジャーナル5月号「南紀・将棋の旅、同行記」にインタビューに答える形で次の文が載っている。

前略

大山「内藤さんは一番の人じゃないもの。五番、十番の人だもの。ああいう人は何やっても構わないと思いますよ。私が言っているのは一番を続ける人のことですから」

後略

米長 ジャーナルにはああ書かれたけれどもね、本当はああいう発言はしていないと思うんだな、俺は。少なくともジャーナルに出るということには気がついてなかったってことがあると思うな。観戦記者では誰が好きか、というアンケートが来たけど、あれは載せるということは一言も書かれてはいなかったはずなんだよな。それなのにね……。

(中略)

米長 無断で載せちゃうんだから。話をしていてな、それをまとめて大げさに書いて載っけちゃったものだろうと思う。大山さんという人はね、そういうふうに人の悪口を言ったりはしない人なんですよ。それはああいうふうな記事が出る、ということは、ちょっと違うところがあると思うな。だから、大山さんとしてもだね、それは誤解だ、私、違うと言いたいところがあると思うんだね。そういうものがあれば、この際、語っていただきたいと思うのだが……。近頃、誰かが誰かのことをしゃべったって、それが書きっぱなしでもって問題になるだろ。

(以下略)

大山康晴十五世名人のコメント

 ええ、本に載るということも、載ったいうことも知りませんでした。

 言葉で話していれば冗談で済むことも、活字になるときつく感じるものですからね。

 書くというのは常にその辺のことに気をつけていてもらいたいですね。

 まあ、誰がどんなことを書いた、言ったいうのをいちいち問題にしていたらきりがないもの。

 とてもひとつひとつチェックしている程暇がない(笑)ですからね。あまりこだわらなくてもいいんではないの。

(5月15日、将棋連盟にて、談)

* * * * *

将棋ジャーナル1985年5月号の「南紀・将棋の旅、同行記」とは、次の記事。

大山康晴十五世名人へのインタビュー

大山康晴十五世名人は「一番ゆうても三年や五年ならちょっと強けりゃできますよ」と話しているので、大山十五世名人の言う”一番を続ける人”とは、この当時において、自分と中原誠十六世名人の二人だけのことしか指していない。

* * * * *

昨日の記事とは違って、大山十五世名人はスルーしていない。

要は「そのように話したけど、いちいち気にしなさんな」ということだ。

すごい。