将棋マガジン1985年7月号、「奨励会対局拝見」より先崎学初段(当時)の自戦記「時代を作るために」より。
最近将棋が勝てない。奨励会は4連敗中だった。他の将棋もほとんど勝った覚えが無い。季節はもう春だというのに、この倦怠感はなんであろう。
僕達名人を目指す者が奨励会の初段ごときでこの様なことを言っていてはいけないと思うが、のんびりやであるためあまり焦らないのは救われているのかも知れない。
奨励会に入会したのが56年の秋ですからもう4年目、中学生四段を目指し頑張りたい。
昭和60年3月28日
▲初段 小池裕樹
△初段 先崎学(中略)
気分を変えて
久しぶりに気分を変える意味もあって飛車を振ってみた。振飛車という戦法は序盤の駒組が楽であり考えなくて済むのだが、その反面相手のいいなりにならざるをえないので、あまり好きな戦法ではない。
皆、僕の序盤を下手だと言うが、今ではそうひどくはないと思う。ただ、昔はひどかった。今入会当時の棋譜を並べると気持が悪くなる。ただ適当に駒を動かしていた、という感じである。最初はみんなそうだったのかも知れない。
さて本譜の△2二歩は、その場の思いつきである。この手の意味は、単純に飛車を2一迄成らせないということだ。もしかしたら新手かもしれない。
1図で普通は▲6六角とでも打ち、以下△5五歩▲同角△4五桂のような手順でいい勝負だろう。しかし、本譜は有難かった。▲4四歩に手順に△5二金左としまれて、十分指せると思ったのだが――。
1図以下の指し手
▲4四歩△5二金左▲3五歩△4四飛▲6六角△5五歩▲2二飛成△4五桂▲同桂△同飛▲1一竜△4四角▲4一竜△5六歩▲5四歩△6六角▲4五竜△4四銀▲6六歩△4五銀(2図)お願い
どこでどうなったのか良く分からないが、2図となってはこちらが良いようだ。多分▲4一竜が悪手であろう。▲2一竜とでも指されればまだ難しいと思う。2図は香損であるが、居飛車の舟囲いと振飛車の美濃囲いとの堅さの差が現われている感じだ。
途中どこかで▲9五歩と端を攻められるのが嫌だったが、相手の小池初段はやる気がしないということ。なつほど、そうかも知れない。
数日前に若駒戦を所司三段と指し運良く勝たせて頂いた。
現在奨励会員が参加できる棋戦は、この若駒戦と新人王戦だけである。しかも新人王戦は三段の中から数人が出れるに過ぎない。これでは少しさみしい。せめて月2回の例会、及び講習会の他に月に1回対局があるぐらいになれば良いのだが……。
2図以下の指し手
▲5三歩成△同金▲4一飛△4七歩▲同銀△4六歩▲4五飛成△4七歩成▲同竜△5七桂▲同金△同歩成▲同竜△4五角▲6七銀△2七飛▲同竜△同角成▲6八銀△3六馬▲5八歩△2九飛▲8六香△3五馬▲7五桂△7四銀▲4一飛△8八金(3図)秒読みの中で
現在奨励会の持時間は級1時間、段1時間半である。級はそうでもないようだが段の方はほとんど双方秒読みになる。本局もそのクチである。3図の少し前から秒読みである。
△8八金と打てて少し良いと思った。ここの所で△5一歩とでも打てば長い将棋であるが、それだと▲4九歩と打ち返し難しい。自玉も相当危険であるが、秒読みの中で△8八金を決断できたのが本当の勝因だと思う。
まだ難しいが、小池初段が諦めていたのであっさり終わった。対局中はもっとねばられるかと思っていた。
3図以下の指し手
▲8八同玉△6九飛成▲7九金△6八馬▲6九金△同馬▲4六角△6八銀▲8三香成△同銀上▲同桂成△同銀▲7三角成△同桂▲7四桂△9三玉(終図)まで、100手にて先崎の勝ち。元天じゃない
3図から勝ちは動かないが、余りにも淡白だったと思う。例えば▲8三香成の所で▲7八飛などとされたら、時間も無いし対局中は嫌だった。
ともあれ勝ってホッとした。負け続けていると一生勝てない様な気がするのである。
僕は2級に2年近くいた。その間、口の悪い周りの人達から「元天才」などと言われた。別に昔は天才だと思っていなかったので余り気にならなかったが、もう二度とその様な事はいわれたくない。
将棋に強くなるためには、毎日棋譜を並べ詰将棋を解き、実戦を何番も指して真面目にコツコツと勉強するだけではいけないと思う。もちろん勉強は大切であるが、それを食物だとすると、それを消化するために必要ななにかがあると思う。それは人により違うが、スポーツであったり、読書であったり、また遊ぶことであったりするのではないだろうか。
これからの将棋界は僕達の世代の時代であろうと思う。世代は、少しずつ変わり始めている。
時代を人に切り分けてもらいそれにただついてゆくのはた易い。それならばだれでも出来る。
しかし自分で時代を作るのは難しい。
僕は自分で時代を作れる棋士になりたい。そのために今、出来る事は将棋を強くなり早く四段になるしかない。
〔師匠の米長十段から一言〕
与五郎(先崎初段の愛称)は年齢的にいってもかなりのところまでいくのではないかと思っている。師匠としては早く一人前の四段になり、できることならばタイトルを争える棋士になってもらいたいと思っている。
今は将棋だけに集中しなければいけない。他はなにもない。鼻血が出る程将棋を勉強しなくてはならない時である。それが、ある年齢に達したとき、それが18か20歳かは知らんけど、その歳になってから将棋だけでなく、幅広く勉強していけばいい。その時は、師匠の姿を思い出して(笑)そうすればいい。今は将棋だけ。
あの芹沢でさえ、10代は将棋だけをやってきたのだから。
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15歳の先崎学初段。
先崎学九段の文章が初めて世に出たのがこの自戦記だと思う。
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「その間、口の悪い周りの人達から「元天才」などと言われた。別に昔は天才だと思っていなかったので余り気にならなかったが、もう二度とその様な事はいわれたくない」
「元天才」と言われて、気になっていたのか気になっていなかったのか、どちらにもとれる文章だが、この2年後、「元天才」という言葉が先崎三段(当時)の心を大きく傷つけることになる。
そのことについては、また後日の記事で。
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「これからの将棋界は僕達の世代の時代であろうと思う。世代は、少しずつ変わり始めている。時代を人に切り分けてもらいそれにただついてゆくのはた易い。それならばだれでも出来る。しかし自分で時代を作るのは難しい。僕は自分で時代を作れる棋士になりたい。そのために今、出来る事は将棋を強くなり早く四段になるしかない」
まさしく羽生世代の出現を予告あるいは予言している。
将棋界の歴史的な時代の変わり目の前夜。