勝浦修八段(当時)「むこうがゆっくり休んでいる間に、こっちは電話番。もし、明日勝てば私の強さが証明される」

将棋マガジン1985年7月号、「公式棋戦の動き 棋聖戦」より。

 もう、かしこいマガジン読者の皆さんはご存知ですよね。そうです、棋聖戦第2局がロスで行われちゃうのです。

(中略)

「ロスさいぐ。おら、こんな村やんだ。ロスで将棋指すだ」と日頃から棋聖挑戦を宣言していたのが森八段。言葉通り準決勝まで勝ちあがってきた。

「遊びにいぐんならええけど、将棋じゃあ、しゃんめえよ」とは勝浦。それほどロス行きに執着してはいない様子。

 さて、時は5月9日夜。場所は東京将棋連盟。当日は名人戦第4局の2日目。編集部のおじさん達は、あーでもねえ、こおでもねえ、と将棋盤をとり囲んで、つつきあっておりました。

 そこへ、ちょっとお酒をめして、上機嫌であらわれたのが、勝浦八段。明日は森との準決勝なのに……。

「名人戦はどうかな?」「ええ、もう我々の間では結論が出ましたよ」「ほう。出たかね」「まあ、ここで、こうやりゃ、この一手でこうして、中原の勝ち」我々だって、一応四段ほどある。支部名人クラスと自負しているのもいる。その、アマトップクラス?の5人が1時間もかけて出した結論である。

「ウィーック。ここでこうやると、どうすんだぁ?」と勝浦。「それはですねえ……。それは、それは」一同声が出ない。「どうすんじゃ」「ゴ、ゴミンナサーイ」という楽しいやりとりがあったのです。

 名人戦第4局といえば、ファンからの結果の問い合わせで、連盟の電話は鳴りやむことを知りません。ファン思いの勝浦、やおら電話をとりだしました。

「ハイ、ハイ、将棋連盟。名人戦ですか?いいことを聞いてくれました。もう、まれにみる大熱戦でねえ我々もさっきからやってるんですが、サッパリわからんのですよ。他になにか聞くことは?せっかくですからなんでも聞いてくださいよ」こんな調子で、ざっと200本の電話をとったのだから驚く。この日、連盟に電話をかけた方はラッキーでした。あの、気のいいおじさんは、勝浦八段でした。

 さて、1図をごらんください。次の一手、おわかりですか?かあんたんですって。その通り△5五飛までで、森八段無念の投了。

「むこうがゆっくり休んでいる間に、こっちは電話番。もし、明日勝てば私の強さが証明される」とは酔った勝浦一流のジョークでしょうが、それにしてもあざやかな勝ちっぷりでした。

「ロスへ行く、ロスへ」と張り切っていた森八段ですが、望みかなわず。

 準決勝といえば、もうハワイぐらいまでは手が届いていたのに、残念。勝浦のミサイルが命中、太平洋の荒波の中に、ポッチャン沈没してしまいました。

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森雞二八段(当時)の挑戦者としてロサンゼルスへ行くという夢はこの時点で消えてしまった。

準決勝で勝った勝浦修八段(当時)は、決勝で谷川浩司前名人(当時)を破り、米長邦雄棋聖(当時)への挑戦を決める。

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この記事のはじめの方は、この当時流行っていた吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」風で書かれているようだ。

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中継のない時代、タイトル戦の結果の問い合わせなどの電話が将棋連盟にたくさんかかっていたことがわかる。

それにしても対局前日に一人で200本の電話を受けたのだから、これだけでも勝浦八段は凄いのだが、次の日の対局に勝つのだから超人的と言っても過言ではない。

「他になにか聞くことは?せっかくですからなんでも聞いてくださいよ」が嬉しい。