将棋世界1984年1月号、読者投稿ページ「声の団地」より。
満身創痍の振り飛車
将棋の理想の駒組みである、金銀を全て玉に密着し、大駒を捌けば勝勢という居飛車穴熊の出現は振り飛車の存在を脅かし、振り飛車党に居飛車党への改宗を迫る踏み絵のごとき存在であった。
対振り飛車に急戦一筋数十年の加藤前名人や谷川名人、中原十段までが、名人挑戦リーグ等で大山クラスの振り飛車党に採用するに至っては行きつくところまでいった感が強い。対居飛車穴熊に速攻で期待されていた森八段すら、今はすっかりミイラ取りがミイラになってしまった。
芹沢八段の言うところの「名人を取るには居飛車」説のためか、有力な振り飛車党の谷川、福崎、淡路、桐山等が一時的、ないしは永久に矢倉、ひねり飛車党へと寝返った今、もはや振り飛車で名人位を奪取できるのは大山十五世か森安棋聖を除いては考えられない。
かつて振り飛車の長所は、①玉が居飛車より堅い ②序盤の駒組みが楽であったが、①に対しては左美濃、居飛穴、銀立ち矢倉には通用せず、②に対しても、自然に指せば、飛車先の優位のため、いつのまにか作戦負けの憂き目をみる。これでは飛車を振るのに1手を費やし、角道を止めてまで振る棋士は皆無となってしまう。
思えば、現存する最古の棋譜は振り飛車であるし、あの中原誠が名人位を手にしたのも、振り飛車名人大山に、大胆にも自ら飛車を振り、後の無い名人戦の第7局に勝てたからだった。やがて振り飛車も衰退してしまうのだろうか。
しかし、我々、振り飛車党には森安棋聖という切り札がある。彼の悪形を気にしない棋風はあたかも、毒クラゲのようにユラユラと掴み所の無い陣形で相手を挑発し、いくら殴られても蹴られても、独特の笑顔と姿勢の良さで痛みを表さず、相手の油断をついて、猛毒の好手と怪力の寄せで絞め殺す。
振り飛車の基本は、相手の手にのって捌くわけだが、彼の場合、既成の定跡にとらわれず独自の構想で指し手を創造するという点で、居飛車穴熊よりも、むしろ居飛車に近い?振り飛車なのかもしれない。
(仙台市 Mさん 学生22歳)
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力の入り方が凄い振り飛車ファンの方だ。
居飛車穴熊が猛威をふるいはじめた時代の投稿。
「毒クラゲのようにユラユラと掴み所の無い陣形で相手を挑発し、いくら殴られても蹴られても、独特の笑顔と姿勢の良さで痛みを表さず、相手の油断をついて、猛毒の好手と怪力の寄せで絞め殺す」
は森安秀光棋聖(当時)の棋風を絶妙に表現している。
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森安秀光の振り飛車(=四間飛車)は、形にこだわらない粘っこい振飛車で、美濃囲いの4九の金(6一の金)が平気で中央部に動いたり戦いに参加したりしていた印象が強い。
厳密には棋風は異なるが、現代で森安流振り飛車に雰囲気が最も近いのは窪田義行七段の振り飛車だと思う。
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郷田真隆九段は「大野源一先生や森安秀光先生の振り飛車とぜひ一度戦ってみたかったですねえ」と語っている。(NHK将棋講座2015年11月号、私が書いた観戦記〔佐藤天彦八段-郷田真隆王将戦「郷田の新手」〕より)
故・大野源一九段は捌きの振り飛車、故・森安秀光九段は粘っこい振り飛車、対照的な振り飛車とそれぞれ戦ってみたいということだ。
もし戦うとしたら、郷田九段は居飛車急戦の仕掛けだろう。
本当に見てみたい。