将棋マガジン1985年2月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
雨の降る寒い日だった。神宮外苑にある日本青年館に寄って、新人王戦の表彰式に出席し、将棋会館の4階に来てみると、妙にざわついている。
聞くと大広間で奨励会員の講習会が行われているという。
たしか名人戦リーグがあるはずで、ピリピリした雰囲気かと思っていたのをはぐらかされたような気持ちになった。
そんなわけでこの日は、中原-森安戦の一局だけである。対局日誌の取材日としてはふさわしくないが、記者室に来た森安が寂しげな表情で「今日は最後まで残ってくれるんでしょうね」
というのと、名人戦リーグは出来るかぎりお伝えしなければ、の使命感みたいなものがあるので取材日とした。
(中略)
そうして4図。
一見後手はたいした駒損でなく、玉も固いので容易ならざる形勢のようだが、振り飛車側にとっては最悪である。局面が単調でアヤがなく、先手側には、▲9五歩の端攻めから、▲2二角と打って桂香を取る、勝ちに至るコースが開けている。
記者室の研究陣もヤル気を失くしたようだった。観戦記担当の加古記者だけは、早く終わりそうなのでニコニコしている。
私は急に空腹をおぼえ外に出た。そして戻ってみると、5図のようになっていた。
5図の△6四歩は、▲同香なら△6三歩と受ける意味。だったら▲6四香と取る手に損はなく、すぐ指しそうなものだ。ところが中原は、だいぶ考えているらしい。田中(寅)が「長いなあ」と嘆息を発した。
ところが、5図のこの局面こそ、本局の見所であった。中原が五冠王時代の姿に戻った瞬間だからである。
絶対優勢のこのような局面で「とりあえず取っておけ」とすぐ▲6四香と指したのが最近の中原であった。勝ちを読みきらずに感じで指してしまう。それは相手にすぐ伝わり、なにか読み抜けの手があるんじゃないか、などとやる気を起こしてしまう。かりにノータイムで▲6四香と指したなら、森安は△6三歩と打っただろうか。多分、△6三銀といった手を指して、中原を慌てさせただろう。局後、森安は「そんな手は読んでない。△6三歩と打ちますよ」といったが、実際にその場面になってみればどう変わったか判りはしない。
(中略)
この日の中原は、いつもとちがっていた。楽に勝とうとしないで、すべてを読み切って勝とうとした。だから用心深く、相手の手を探し、▲6四香なら、△6三銀という非常手段があることを察知していた。
5図からの指し手
▲9四歩△同香▲8六桂△6五歩▲9四桂△7一玉▲5五香△5四歩▲同香△5三歩▲4一銀(6図)中原は▲9四歩から▲8六桂と打った。この場面は私も見ていたが、「全部読み切ったぞ」という自信にあふれていた。
そういった感じもまた相手に敏感に伝わるものである。森安は完全にあきらめ(それは5図から投了まで、たった7分しか使っていないことで明らかだ)以下簡単に土俵を割ってしまった。
相手があきらめてくれれば、盤上最善の手を指すより、早く確実に勝てる。無敵時代の中原はそうして勝ってきたのだった。
(以下略)
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4図、やや苦しいけれども振り飛車側が指せるように見える局面だが、プロ的にはそうではないのだから厳しい。
たしかに、森安秀光八段(当時)らしくない、あまりにもスッキリとした局面だ。
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中原誠十六世名人は、1982年に数ヶ月間、13年ぶりに無冠となったが、すぐに三冠(十段、王座、棋聖)に返り咲いている。
この記事の頃は二冠(王将、王座)だが、二冠であっても「中原が五冠王時代の姿に戻った瞬間だからである」と書かれるのだから、いかに本来の調子の中原十六世名人が凄かったのかわかる。
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「相手があきらめてくれれば、盤上最善の手を指すより、早く確実に勝てる」
将棋界で言う「信用」の積み重ねがいかに大事なことか。
棋譜からだけでは計り知れない姿だ。