昨日の記事の第16回新人王戦決勝三番勝負〔井上慶太四段-森下卓四段〕第3局があった日の出来事。
将棋マガジン1985年12月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
午後9時
大広間、第二対局室を見て回り、特別対局室に入って記録係のとなりに坐った直後だった。いきなり、グラグラッと来た。地震である。それもかなり大きい。こういったときの人間の感覚はあてにならぬが、それでもかなり長い時間揺れていたように感じた。手番の井上は盤面を見つめたまま動かない。森下は腰を浮かせてまわりに目を遣った。揺れは依然として続いている。決勝戦だから「赤旗」の担当者がつめているが、だれも来ない。なにをおいてもすっ飛んで来そうなものではないか。見かねて「時計を止めたら」と私は言った。
ここで井上はようやく顔を上げた。森下は「メキシコと日本は関係があるんですよね」などとオロオロしていた。やがておさまり、井上は何事もなかったように盤面に没頭していった。大広間は大騒ぎだったようである。まだ恐怖の余韻が残っていた。
(中略)
午後11時
新人王戦は井上が勝った。地震のときの肝っ玉の坐り方だけを見ても、勝って当然であった。以前、井上を「嚢中の錐」といったが、いよいよ鋭鋒をあらわしたか。
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1985年10月4日の21:25、東京に56年ぶりの震度5の地震が発生(震源地は茨城・千葉県境付近で M6.1 )。鉄道網が大混乱し、1万2000人の帰宅に影響を与えた。
森下卓四段(当時)が「メキシコと日本は関係があるんですよね」と言っているのは、ほぼ2週間前の9月19日にメキシコでM8.0の大地震(死亡者約1万人、建物全壊約3万棟、半壊約6万8千棟)が起きているため。
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将棋世界同じ号の井上慶太四段(当時)の第16回新人王戦決勝三番勝負第3局自戦記「”運”を感じた一局」では、次のように書かれている。
△7五歩に次の指し手を考えている時、突如としてグラグラと地震が起こった。最初はそれほど大した事がないと思ったが、段々揺れが大きくなっていく。対局は一時中断となる。震度は5で、関東では56年ぶりの大地震だったらしい。ご記憶に新しい方も多かろう。
間もなく対局は再開され、局面は相変わらず僕のほうが優勢だが、この大地震が局面の大混乱の幕開けになっていたとは、その時は露にも思わなかった。
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地震のあった直後に指した手は悪手ではなかったが、その数手後に指した手が疑問手だったという。
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地震のあった1985年10月4日は金曜日。
当日の記憶はないが、家に帰って本棚が倒れていたら困るな、と思った日があったことは憶えている。
金曜の夜なのでどこかで飲んでいたのだろう。揺れたとしても震度5の実感がなかったわけだから、酔っ払っていたか外を歩いていたか。
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2011年3月11日、この日の対局室の様子は、作家の朝吹真理子さんが観戦記で書いている。