大友昇八段(当時)「こんな状態では将棋は指せぬ。引退する」

将棋マガジン1984年4月号、清水孝晏さんの「思い出の棋士たち」より。

大友昇八段

 直情型の棋士である。B1に降級した直後に十二指腸潰瘍で入院、退院、また入院を繰り返していたが「こんな状態では将棋は指せぬ。引退する」といいだした。私などは「まだ若いのだから2、3年くらいすぐ経ってしまうから辛抱したら」と止めたのだが、彼氏の性格で思い込んだら命がけ、ついに引退を決めてしまったのである。彼との出会いは昭和25年のアマ名人戦にはじまり、プロになって大阪新聞の東西勝継ぎ戦で14連勝の取材から親しくなり、そのころ誕生した東洋工業の600ccクーペで東京から仙台まで6時間で突っ走るという快挙を為し遂げたこともある。が、帰りは恐ろしくなり私は汽車にしたが、まだ自動車が少ない頃に運転免許をとっていたのだから異色の棋士といえよう。

 14連勝もさることながら、彼を檜舞台に送り出したのは昭和33年の早指し王位戦(三番勝負)の挑戦者になり、大山王位を向こうに回し堂々と渡り合ったことであろう。結果は善戦した第1局を失ったためか2連敗におわったが、五段での活躍は大友昇の名をあげた。

 この早指し王位戦は各3時間という短時間制をとったおもしろい棋戦であったが、大友五段のあといくばくもなく発展的解消をとげた。

(中略)

 引退後の大友さんは西武線の練馬駅前に道場を開いていたが、健康の回復とともに無性に将棋が指したくなったのであろう。いま将棋ジャーナルのアマ・プロ平手24番勝負を続行中。

 やはり将棋は好きなんですね。大いに声援をおくりたい。

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大友昇九段は森雞二九段と郷田真隆九段の師匠。

1968年にA級に昇級してA級には1年在籍。

1972年、B級1組のまま40歳で引退している。

劇的な人生だったのだろう。団鬼六さんが大友昇九段を主人公にした小説を書きたがっていたほどだ。

明日も大友昇九段のエピソード。

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1996年、森雞二九段A級復帰・郷田真隆六段昇段(五段→六段)祝賀会。新宿の中国料理店にて。真ん中が大友昇九段。近代将棋1996年8月号、撮影は弦巻勝さん。

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