近代将棋1983年11月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。
一方の淡路君も前年度に続いての連続昇段だった。
これで神戸組のA級棋士は4人になった。名人を含めて11人のA級棋士のうちの4つを奪ったのである。しかも、ほかにA級には桐山清澄八段がいるので、関西グループは5人となった。
(中略)
(淡路仁茂八段は)つい先年まで新人で、テレビ東京のスタジオで「テレビに出るのは初めてなんですわ」とそわそわしていたのに、1980年に棋聖戦で中原に挑んでから、めきめき腕を上げてきた。
そのテレビに初出演したときの話をちょっと書こう。そのとき、たまたまわたしが聞き役をさせてもらったのだが、対局前に淡路君がそっと寄って来て、さっきの言葉を吐いたのだ。あの特徴あるギョロ目が、キョトキョト動いて、どこか不安そうにさえ見えた。
「大丈夫だよ。しっかり映してくれるようテレビ局の人にいっとくから、アッハッハッ」と笑いとばしたら、「そうですね。一生懸命、将棋を指せばいいんですからね」と不安を吹き飛ばしたらしかった。そして、こんどはずうずうしく落ち着いたことをいい出した。
「あのね、ぼく独身だということをひと言しゃべってくれませんか。それと神戸元町に道場を持っているということも宣伝しといてくださいよ」
このチョンガー、なかなかしっかりしたもんだ、とちょびっと思ったものだった。その一戦、彼が勝ったか負けたか、わたしは覚えていない。しかし、全部を撮り終えるやいなや、わたしのところへやってきて、「あの二つのこと話してくれへんかったんと違いますか」とギョロ目をむいた。
わたしの声がバカデカイので、全部対局者に聞こえてしまったらしい。それにしても早指しの最中に聞き役の話など聞いているとは大物と思ったものだが、やはりトップクラスへの階段を登りつめるのも早かった。むろん、淡路君はそのテレビ出演のあと、10歳近くも年下の明美夫人と結ばれた。その明美夫人は淡路君の道場にアルバイトにきていた女性だったというのも、いかにもちゃっかりした彼らしいエピソードだ。
(以下略)
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テレビ出演がきっかけとなって奥様と結ばれたのが石田和雄九段。
テレビ出演が結婚への強力な後押しとなった杉本昌隆七段。
たしかに、独身で神戸元町に道場を持っている、という解説が加わって、心動かされる女性視聴者が一人でも増えれば十分な成果と言えるだろう。
当時のテレビ東京のネットなので放送地区は限られているが、関東・関西・愛知で5,000万人として、視聴率が早朝なので0.3%として、女性比率が当時なので5%として、そのうち当時の淡路仁茂九段と同じ20代の比率が10%として、そのうち心が動かされた比率が1%として、小数点以下1位を四捨五入して8人。
なかなか魅力的な程良い人数だと思う。
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「あの二つのこと話してくれへんかったんと違いますか」
この8人を発掘できなかったということになると、たしかに一つのチャンスを逃してしまったような気持ちになるのも無理はなさそうだ。