近代将棋1984年3月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。
近代将棋の発祥地
「将棋会館」のある千駄ヶ谷駅から、西に向かう黄色い電車に乗る。東京にお住まいの方ならだれでもおわかりだろうが、この電車が総武線。千葉、幕張、津田沼、西船橋行きがあるが、すべて千葉県が終点となっている。つまり、「会館」から真っすぐ一本、約三十分で江戸川を越えて千葉県に入るのである。
だから………ということもある。この千葉には将棋指しがワンサと住んでいる。もし、タモリが将棋が強かったら、ああまで千葉を小バカにすることもなかったろうと思う。と、わたしが鼻をヒクヒクさせるのも、実は わたし自身、その千葉の習志野市津田沼に住んでいるからだ。
いま、わたしは、その津田沼のマンションでこの原稿を書いている。本誌の編集部はなかなかきびしく、年にわずかな正月休みもゆっくりと休ませてはくれないのである。「えーい、こんちくしょう」と書きはじめたのだが、酒も呑みたいし、テレビの駅伝も見たい。おまけに子供どもが妙なニューミュージックをガンガンかけているので、手は原稿、口は酒、目はテレビ、耳は音楽と一人四役の同時進行となってしまっている。「ちょっと手を休め、ベランダの外をながめると、すぐ前に小学校がある。歴史の古い津田沼小学校だが、実は第一回「記者会賞」を受けた松下力八段と若手観戦記者の金井厚君は、この学校の卒業生。
こんどは、ノソノソと裏の窓をのぞいて気分を休めるが、こちらには京成電車が走っている。「この京成沿線にも誰かいたな!」と思って、ハッとする。そうだ、きょう、わが家から三分ほどの京成津田沼駅の駅ビルに「津田沼将棋センター」がオープンし、師範の関根茂八段が、この京成でやってくることになっている。そんなことを思い出したら、もう手はなめらかに滑らない。下駄をつっかけて「将棋センター」へ。
数日前、やはり千葉市に住む長谷部久雄八段に「こんど、津田沼に初めて「将棋道場ができ、関根さんが師範となりますから、よろしく」といわれていたこともあるからだ。長谷部さんは元々この津田沼に住み、いわば、ここが「縄張り」なのだが、関根さんが「道場を出す」といえば、気持ちよくそれを援助する。将棋指し同士の「仁義」といえばそれまでだが、なにか暖たかさが漂っているのがうれしい。
いたいた。関根さんは例のエビス顔でアマチュアの将棋を見て回っている。
「やあやあ、待ってたんだよ。ここは能智さんの縄張りと聞いていたんでね。さあ、ちょうど手もあいたから寿司屋で開店祝いといきますか」
ちょっぴりヤクザっぽいところが、やっぱり棋士の世界だ。誘われるままにノレンをくぐり、またチビリチビリとはじめてしまった、というわけ。
ふだんから関根さんはほとんど呑まない。しかし、呑む席は好きだし、ちょっと入ると陽気によくしゃべってくれる。
「そう、いま千葉のことを書いてんの?そんなら忘れちゃいけない人がいるよ。ほらわたしと同姓の大先輩。あの人は明治元年関宿町の生まれなんだよ」
いきなり、こう切り出してきた。ご存知、関根金次郎十三世名人のことである。むろん、ここにいる関根さんとはなんの因籍関係もない。が、学究肌の関根さんはこういったことにくわしい。
「関根先生は、十一歳のころ伊藤宗印十七人の門に入り、明治から大正にかけ一時崩壊しかけた将棋界を再建し、大正十年に小野五平十二世名人の跡を継いで十三世名人に就位したんだ。昭和十年、自ら引退声明を出し、三百年の伝統を破る実力名人制を創り出した。先生は昭和二十一年に亡くなっているので、わたしはお目にかかったことがないけど、この千葉県は”近代将棋の父”を生み出しているんだ」
ここまでを感想戦のようにサッと復元し、「これは書かなくちゃあ」とアドバイスしてくれる。いまでこそ「神戸組」全盛期で、さらには「高槻組」などというのも生まれているようだが、この関根さんのバックアップで、わたしも勇気百倍だ。
「神戸組」のスポークスマンに神戸新聞の中平邦彦記者(近著「名人 谷川浩司」の著者)、「高槻組」の応援団長に共同通信の田辺忠幸記者(「将棋なんでも入門」の著者)が付くなら、このわたしも微力ながら「千葉組」のために黙ってはいられない。
「でもねえ」と関根さん、ちょっと真顔になって考える。「ほんといって、あんまり強いのいないんじゃない?」と蛮勇にポトリと水をさす。それでようやく正気に返った。「そうだ、関根さんは京成電車の沿線に住んではいるが、江戸川を越えた向こう側。東京・下町の高砂だ」と。
そのわたしの裏切られたような顔に気付いたか、関根さんは付け足した。「でも、とにかく数はいっぱいいるよな」。近代将棋の父から、ガタンと落としてしまうから。この人の話はきつい。
でもまあいい。この千葉県に永く住んでいるといろいろなことがある。
(つづく)
* * * * *
タモリといえば、千葉県よりも埼玉県に対する攻撃(?)の方が有名だが、千葉県も同様の位置づけとなっていたようだ。
* * * * *
現在の千葉県出身の棋士は次の通り。当時と様相は変わってきている。
渡辺東一名誉九段
松下力九段
佐瀬勇次名誉九段
平野広吉七段
長谷部久雄九段
関屋喜代作八段
加瀬純一七段
達正光七段
丸山忠久九段
真田圭一八段
岡崎洋七段
木村一基九段
佐藤和俊六段
石井健太郎五段
三枚堂達也六段
近藤誠也五段
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ちなみに、出身都道府県別の棋士の人数は次の通り。(棋士番号のついている棋士。物故棋士、引退棋士を含む)
東京 88
大阪 30
神奈川 21
兵庫 21
千葉 16
北海道 13
埼玉 11
愛知 9
広島 9
静岡 9
岡山 7
福岡 7
京都 6
宮城 5
三重 5
新潟 5
長野 5
群馬 4
青森 4
奈良 4
富山 4
和歌山 4
茨城 3
山形 3
長崎 3
鳥取 3
宮崎 2
高知 2
秋田 2
徳島 2
栃木 2
福島 2
愛媛 1
岐阜 1
熊本 1
香川 1
山梨 1
石川 1