将棋マガジン1987年9月号、「夢の対談 塚田泰明VS国生さゆり」より。
国生 本をお書きになったんですか?(と『攻めっ気100%』を手に取り、ページをパラパラとめくる)
塚田 ええ。
国生 これは、どういう本なんですか?
塚田 将棋の本だから、あまりわからないと思うんですが、まあ、そのー、いわゆる将棋の本ですね、やっぱり(笑)。ただ、将棋のことだけじゃなくて、僕の修行時代に書いたものなんかがのっていまして、今は七段だから比較的いい状態なんですが、その頃の抜け出さなきゃ駄目という苦しい立場で書いたものには愛着がありますね。よかったらそっちの方を重点的に読んで頂ければと……。
国生 あらっ。ピンポンパンに出てたんですか?のってますよ(笑)。
塚田 はっは。実は僕はフジテレビに来るのは二度目なんです。5つの時のピンポンパンと今度(笑)。
国生 へえー、そうなんだ。私、見てたんですよ、大好きで。
塚田 えっ、いくつぐらいの時?
国生 3つぐらいかな。
塚田 ということは、僕が5歳ぐらいだから、国生さんに見られていた可能性が。僕の方が、テレビデビューは早いんだ(笑)。
(以下略)
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この頃の将棋マガジンでは、高橋道雄王位(当時)と斉藤由貴さんの対談もあり、塚田泰明七段(当時)と国生さゆりさんの対談はその第2弾で、塚田泰明七段(当時)が王座を獲得する少し前のタイミング。
アイドル絶頂期だった頃の国生さゆりさんが登場したのだからすごい。
当時、毎日新聞の将棋担当であった加古明光記者が芸能も担当しており(日本レコード大賞選考委員でもあった)、そのようなルートでこれらの対談が実現したと書かれている。
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フジテレビが台場に移転する前の河田町にあった時代。
『ママとあそぼう!ピンポンパン』は1966年から1982年まで放送された子供向け番組。
NHKの『おかあさんといっしょ』、日本テレビ系の『ロンパールーム』とともに、当時の三大子供番組と言ってもいいだろう。
塚田泰明九段が出演した5歳の時は、有名な「ピンポンパン体操」がまだできていなかった頃。
お姉さん役は初代の渡辺直子さんだった。
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『ママとあそぼう!ピンポンパン』は高校生の頃に夕方の再放送をよく見ていた。
二代目お姉さんの石毛恭子さんのファンだったからだ…