佐藤康光二冠(当時)「特に丸山さんには”おお”と思うことが多かった」

将棋世界2003年3月号、「棋士たちの真情 天運、天性、天命 ―佐藤康光棋聖・王将」より。記は松本治人さん。

 佐藤は「名人は選ばれてなるもの」と言い切る。

「竜王、名人に限らず、タイトルは選ばれるものだと思います。人間性や風格ではなく”技術”で選ばれる。一年ごとに。タイトル戦に出ると香一枚強くなる。しかしストレート負けすると棋士寿命を縮める恐れがある(笑)」

 昨年は7大タイトルのうち、4つのタイトル戦に挑戦した。

「羽生さんとの王将戦、棋王戦は面白いシリーズで、対局者として意義があった。いろいろな将棋が指せ、三間飛車などで新しい手を思いつく楽しさがありました」「王座戦では羽生さんの調子は明らかによくなかったと思います。羽生さんが勝ったというより僕の方がミスして負けた。羽生さんが勝つパターンは大体そうなんですけれどね」

(中略)

 佐藤語録に「100年後に笑われる棋譜は残したくない」がある。

「30歳になってから意識するようになりました。将棋というのは何のために勉強するかというと、勝つための勉強もありますが、基本的には自分が強くなるための勉強じゃないですか。勝ち負けは大事ですが、それ以外には指した棋譜しか残らないわけです。本当は全てを本に書くように伝えたい。小説のように伝えたいんだけれど、将棋を知らないと理解してもらえないし、タイトル戦でも感動を持ってもらえないのが、ちょっとつらい」

 勝負のあり方は20年間で劇的に変わった。あるタイトル者は「大山先生は勝つことを最優先し、その局面での最善手は何かなどとは、あまり考えなかったのではないか」と指摘する。しかし現代は、それでは生き残れない。「今は最善手を理論的に求めていかないと、勝負にも勝てない時代」(羽生)。純粋な真理を求める気持ちは佐藤にも強い。データ的に勝率が悪く、プロも躊躇する角換わり腰掛け銀の後手番にも踏み込む。「米長先生が昔”矢倉は将棋の純文学”とおっしゃっていますけれど、僕にとっては角換わりです。名人戦の対谷川戦と対丸山戦であれだけ指しましたから。こういうことを言うのはおこがましいけれど、角換わりの将棋をあのタイトル戦で、ある程度前進させたという自負はありますね。発見が多かったです」

「特に丸山さんには”おお”と思うことが多かった。普通は自分がいちばん強いと思っているから、その後すぐ”その手は違うな”って感じるのだけれど、あの名人戦では”ああ、なるほど”と影響を受けたことがありました。谷川、羽生に感じる”なるほど”とは質が違っていました。僕の感覚の方がちょっと古いんですよ。新しい感覚をじかに感じ取れました」

 加藤一二三九段は羽生世代を「問題解決のスピードが速い」と評する。「例えて言えばA地点からB地点まで行くとき、一直線に行くスマートさがある。我々の世代は何度も繰り返し、やっとこの手は悪かったんだと納得して次のステップに進んだ」と言う。

「将棋を分析して自分なりのアイデアを出していく才能と、終盤の寄せを読むとか詰将棋を解くのが早いとかの才能とがあります。読みの早さというのは訓練だと思うのです。訓練を厭わないのも能力の一つです。しかし序中盤は、特に序盤がそうですが、空想というか、絵画を描くのに近い感じですね。その2つの強さがないと将棋は勝てないですよね」

 佐藤の探究心は対局後も続く。感想戦は時に3時間を超える。ある時、有望な奨励会員が控え室に来て「本当のことをずばり言ってくれる佐藤先生の感想戦が一番勉強になります」と感動した口吻で言った。

「あまり言いたくないんですけれど、相手によって作戦を変えるようになったのは最近かな(笑)。以前は無意識でしたが、今は意識的に変えることがありますね。ただ、自分の年齢としては純粋な方だと思っています(笑):

 昨年のタイトル戦の最中、佐藤は熊本へ移動する前日に森内と対戦した。午後11時に対局終了。しかし感想戦が終わったのは午前2時近く。途中、関係者が「明日早いでしょう」と促しても「フライト時間を忘れました」とトボケ続け、最善手の探索を続けた。帰宅の車中で森内は「本当に将棋が好きですね」と絞り出すような声で言った。

(中略)

 羽生は「昔のタイトル戦は、必ず最後は泥仕合になる。将棋の技術革新が始まったのは、ここ20年ほど。それまでは勝負技術の進歩だった」と分析する。

「いろいろ昔話を聞いていると”どうしたって最後は力でしょ”という風になるんですよ。まあ、実際そうなんですけど、それは要するに勝負をつけるものであって、将棋の本質からいうと違うわけです。一人で延々と考えるという勉強方法もありますが、やっぱり過去の歴史から学ばなければならない。極端に言うと、初手から全部掘り下げなければならない。そういう考えは今では当たり前だけれど、当時はなかった。僕らの世代が勝ってきた理由の一つは、そうした時代の変わり目にプロとしてスタートできたことがあるかもしれません」

(つづく)

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コンピュータソフトが非常に強くなって、棋士の指し手に影響を与えていると言われるが、もっと根本的で革命的な変化は、羽生世代の棋士が登場し始めた頃に起き始めている。

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「竜王、名人に限らず、タイトルは選ばれるものだと思います。人間性や風格ではなく”技術”で選ばれる。一年ごとに」

「タイトル戦に出ると香一枚強くなる。しかしストレート負けすると棋士寿命を縮める恐れがある」

「100年後に笑われる棋譜は残したくない」

「将棋というのは何のために勉強するかというと、勝つための勉強もありますが、基本的には自分が強くなるための勉強じゃないですか」

「勝ち負けは大事ですが、それ以外には指した棋譜しか残らないわけです」

「今は最善手を理論的に求めていかないと、勝負にも勝てない時代」

 

「将棋の技術革新が始まったのは、ここ20年ほど。それまでは勝負技術の進歩だった」

そのまま広告コピーで使えそうな談話が数多く含まれている。

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「明日早いでしょう」と促されて、「大丈夫です」「平気です」ではなく「フライト時間を忘れました」と変なことを言って話をそらしているのが、微妙に可笑しい。