将棋マガジン1987年9月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
早いもので、昭和62年も半分を過ぎた。しかし、将棋界の62年はまだはじまったばかりである。
そこで今期の楽しみだが、第一はなんといっても新四段と、羽生がどれだけ勝つかだろう。
戦後の将棋史は、一昨年ぐらいまでで終わり、羽生の出現によって新しい将棋史がはじまり、今年はその2年目、というのが私の考えだが、いささか先走った感じがしないでもない。
羽生や、村山、佐藤(康)、森内といった少年達の将棋は、一見どってことのない将棋である。寄せがけたちがいに正確なことは認めるが、ここまではごく平凡である。変わった駒組を作るとか、いままでにない仕掛け方を工夫するとか、といった才能のひらめきはない。しかし、ともかくこれだけ勝たれては、強いというしかないだろう。
その強さだが、どこがどう強いのか、私には判らない。機会あるごとにいろいろな人に訊くのだが、みんな判らないらしい。当人達だって判っていないのではないか。結局いままでの常識でははかることのできない種類の強さなのである。だから頭のかたいベテラン棋士は、たいしたことはない、と思っている。すくなくとも、歴史をかえるほどの大物だとは見ていないようだ。
ま、どうなるかは時が解決してくれるだろう。
(以下略)
* * * * *
「戦後の将棋史は、一昨年ぐらいまでで終わり、羽生の出現によって新しい将棋史がはじまり、今年はその2年目、というのが私の考えだが」
「頭のかたいベテラン棋士は、たいしたことはない、と思っている。すくなくとも、歴史をかえるほどの大物だとは見ていないようだ」
羽生善治九段が、まだタイトルを獲得する前、四段になって1年半の頃。このような予言をした河口俊彦六段(当時)の感性は非常に素晴らしいと言えるだろう。
* * * * *
それまでの将棋界にブレイクスルーをもたらせたものが何かについて、2005年に先崎学八段(当時)が明確に述べている。
→先崎学八段(当時)「すべてはふたりが変えたのだ。あの時から将棋界は変わっていったのだった」
基本的には、羽生世代の棋士の切磋琢磨が、歴史を変えた最も大きなエネルギーとなっているのだと思う。