将棋マガジン1991年5月号、バトルロイヤル風間さんの「将棋リングアウト 一年で一番ぜーたくな控室」より。
将棋界の一年で一番長い日―将棋界での一年で一番ぜいたくな日―A級順位戦最終日を、控え室ですごしてしまおうという将棋ファンならヨダレを30センチもたらしそうな体験をさせていただいた私です。
将棋会館4階の対局室の銀沙の間、飛燕の間をぶちぬいて控え室状態になっております。もちろん畳敷きで、長机を3つくっつけ、その上に盤を5つ並べ、対局者の名を書いたカードが貼ってあります。これが継ぎ盤というやつでしょう。他に、大型テレビ(米長-内藤戦の盤面が映ってる)、将棋の四寸盤、碁盤、ファックスなどがある。
6時の夕休の前。人はまばら。羽生、先崎が有吉-青野戦を並べている。
地下1階の週刊将棋編集部へ顔を出したら、ふとしたなりゆきで中原名人に夕食をごちになる。う、う、うれしい!
7時半。10数人がのんびり、いる。碁盤を囲んでる人々もいる。いるだけって感じ。
8時。四寸盤の前に座る中原名人。相手がいないので、そばにいた森内五段に「ほい」とか言って検討の相手をさせる。アントニオ猪木が若手レスラーをつかまえて、スパーリングをするような風情。
8時半。中原、森内が、米長-内藤戦の”手番を間違えた”検討をする。こりゃ悪いと結論が出たところで、手番違いに気付く。森内君が勘違いして指し出したらしい。そばで見ていた、毎日の記者の人(たぶん)が、やっぱり一手違ってたんですか、と言う。中原、森内が指してる最中には言えなかったんでしょーね。わかります。
8時45分。ふとのぞいてみた2階道場の大盤解説場。田中、先崎コンビが、この中原、森内の手番違い検討をしっかりネタにしていた。休憩で控え室にいたんだね、ちょうど。「これでわかるのは、内藤先生の構想の素晴らしさです」とか言ってた。そんなもんなのかな、と思う。
9時20分。羽生、森内が二人でモソモソ検討しているところに、林葉、中井がやってきて加わったとたん、生き生きしだしたと見るのは、私の偏見か。
9時40分。毎日の加古さん(仕切ってる人)が、継ぎ盤で検討している人々に向かって「ちゃんともどしておけよ!」と一喝。修学旅行の引率の先生が、きかない中学生をしかるようでした。
10時。人もいっぱい、室温も上昇。
10時15分。大山-真部戦の継ぎ盤を見て、「きれてんじゃないの?」と誰かが言うと、その後ろに大山先生がいて、「終わったよ」だって。特別対局室で隣は米長-内藤戦という挑戦者決定にかかわる対局なので、感想戦を別室で行うため出てきたところとのこと。さぞや、びっくりしたでしょう。
10時30分。長考の末の、米長の鋭い攻めがテレビに映る。おおー、と皆おどろく。私もこの控え室にいらっしゃるお歴々といっしょに、(よくわかんないけど)おどろく。なんかうれしい。
10時38分。有吉-青野戦、有吉勝ち。
11時17分。塚田-南戦、塚田勝ち。
11時40分。米長、谷川両者の負けが確定的となり、控え室の空気は、むし暑く、倦んだ感じ。もう挑戦権も順位も変わらない。
人もいなくなってきた。
11時52分。谷川-高橋戦、高橋の勝ち。
その後、控え室は「米長に早く投げさせよう」というギャグが飛ぶばかり。特別対局室には他の将棋の情報は伝わらない。
12時17分、内藤の勝ち。特別対局室へ。
控え室から順位戦の熱い空気が抜け、単なる散らかった和室に戻りました。ご苦労さま。
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夕休前から羽生善治前竜王(当時)と先崎学五段(当時)が並べていた有吉-青野戦は、敗れた方が降級という一戦。
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「7時半。10数人がのんびり、いる。碁盤を囲んでる人々もいる。いるだけって感じ」
控え室がどんどん混み始める前の、このユルい雰囲気がたまらなく良い。
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「8時。四寸盤の前に座る中原名人。相手がいないので、そばにいた森内五段に「ほい」とか言って検討の相手をさせる」
継ぎ盤に名人が座っていれば、向かい側に座るのはなかなか勇気がいる。
そばにいる森内俊之五段(当時)の顔を見ながら中原名人が「ほい」と言えば、「ここに座って」という意味。
嬉しいとともに緊張する場面。
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米長-内藤戦は、米長邦雄九段が勝てば名人戦挑戦。
米長九段が敗れて、谷川浩司竜王(当時)が勝てばプレーオフ。
米長九段、谷川竜王とも敗れれば、米長九段の挑戦。
谷川竜王が投了した後、打ち上げに早く出たい人、終電の時間が気になっている人などから「米長に早く投げさせよう」という冗談が出るのは、ごく自然な流れと言えるだろう。
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「控え室から順位戦の熱い空気が抜け、単なる散らかった和室に戻りました」
まさしく祭りが終わった後の趣き。