将棋マガジン1990年8月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
昨年の今頃は、新人類棋士の活躍が期待されたものである。
その中で、羽生は期待通り、トップまで昇ったが、佐藤(康)、村山、森内は、どうもパッとしない。特に、村山の順位戦負け越しは信じられないことであった。
今年の春、森(信)にそれを言ったら「あれはあかん、将棋を指す気がのうなってしもうた」。
師匠の言であり、酒の席の話だから額面通りには受け取れない。遊んでばかりというけど、森もいっしょに麻雀卓を囲んでいるのだ。
脳は適当な休息を与えてこそ、正常な働きをする。今は言わなくなったが「夏ボケ」も自然の摂理と聞いたことがある。新人類棋士達も、それぞれの方法で充電期間を送っていたのだと思いたい。
(以下略)
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将棋マガジン1990年12月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
最近、森内の名を聞かなくなった。もちろん勝ち越しているが、目立つ星がない。特に順位戦が甘い。若手棋士達に、どうしたんだろうね、と訊いたら「勉強不足でしょうね」の答が返ってきた。
将棋界では、ちょっと成績が落ちると、遊びのせいにしてしまう。森内が本当に遊んでいるのかどうか知らないが、もしそれが原因なら頼もしい。村山と同じである。1,2年のむだは将来へのよき投資なのだ。すくなくとも、コツコツ勉強して勝てないのより救いがある。
(以下略)
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「あれはあかん、将棋を指す気がのうなってしもうた」
この時期は本当にそうだったのかもしれない。
「師匠の言であり、酒の席の話だから額面通りには受け取れない。遊んでばかりというけど、森もいっしょに麻雀卓を囲んでいるのだ」
これも森信雄五段(当時)らしいところ。
なるようにしかならない、あるいはこういう時期も必要、という思いもあったに違いない。
大崎善生さんの『聖の青春』にはこの頃のことについて次のように書かれている。あらためて、心が打たれる。
そんな村山を森は許していた。深酒をしても、麻雀で徹夜しても森は決して怒らなかった。それによってしか得ることのできないものがあることを森は知っていたし、そしてそれがどんな無駄に見えたとしても決してそうではないことも知っていた。少年時代から入院と対局を繰りかえしてきた村山が、それ以外の人生の広がりを模索することはむしろ、ごく自然なことのように森は思えていたのである。
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「脳は適当な休息を与えてこそ、正常な働きをする」
年齢を重ねると、このことが実感できる。
このブログの記事も原稿もそうだが、夜10時(起きてから15時間ほど)を過ぎてから何かを書こうと思っても、ほとんどはかどらない。
翌朝、起きてから取り掛かると、明らかに違う。
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「佐藤(康)、村山、森内は、どうもパッとしない」と書かれているが、この直後、佐藤康光五段(当時)は、王位戦で挑戦者になっている。