千日手が一日に二度続いたタイトル戦〔羽生善治棋聖-谷川浩司王将戦〕

将棋世界1994年3月号、中野隆義さんの第63期棋聖戦五番勝負第3局観戦記「激闘の残火」より。

将棋マガジン1994年3月号グラビア、1回目の千日手が成立した直後。撮影は弦巻勝さん。

 序・中盤を優勢のうちに進めながら終盤の決め手を逸し、谷川は第1局に続いて第2局を失った。光速の寄せを謳われる終盤の名手谷川に何が起こったのかと、谷川ファンならずとも首をかしげたくなる現象が続けざまに噴出している。

 これを、由々しき事態と感じるか。内容は押しているのだから心配ない、いつか勝ち運に恵まれる時が来る、と思えるか。トップを長く走るには、後者のごとき太い精神が不可欠であろう。

第63期棋聖戦五番勝負第3局
平成6年1月7日
於・神奈川県鶴巻温泉「陣屋」
▲棋聖 羽生善治
△王将 谷川浩司

(中略)

あの時から

 羽生が序盤で見せる趣向が際立つようになったのは、あの時からだ。昨年の2月から3月にかけて谷川と戦った第18期棋王戦。その第3局の前夜祭で羽生は一ファンの方から次のような質問を受けた。

「最近のプロ将棋は、60手ぐらいまで全く同じ形で、アマチュアには面白くないのですが……」

 定跡の最先端を走っている羽生は、マネをされる方であって、同じ形で云々を言われる立場にはないのだが、ファンの率直な意見は羽生の胸に強く残った。たとえ心血を注いで将棋を指しても、ファンが見て面白いと感じてもらえなかったとしたら意味がない。羽生は、翌日の将棋で、相矢倉の後手番を持って多少無理気味とも思える趣向を打ち出して見せた。

1図以下の指し手
▲8六歩△同歩▲同飛△8五歩▲8七飛△4二玉▲9六歩△3二玉▲9七桂(途中図)

気合重視

 1図。谷川の指した△5三銀は、欲張った手である。この手で△4二玉などと上がろうものならすかさず▲8六歩△同歩▲同角(王手)とされてオワであるから、それは論外として、王手から飛車の素抜きの筋を消すには△6四歩が無難とされているところである。ただ、△6四歩には、早くに形を決め過ぎるという嫌味がある。そこで△5三銀が柔軟な一手ということになるのだが、それは局面がおとなしく進んだ上での話となる。

 84分の大長考を記録して、羽生は▲8六歩を決行した。味の良い手を通すことは許せないという気合を重んじた着手である。

 それにしても、▲8七飛と変な所に飛車を引いたかと思えば▲9六歩から▲9七桂とはなんという行儀の悪い指し口であろうか。失礼ながら、これは縁台将棋流の無茶攻め感覚そのものである。

 これだから羽生の将棋は面白いのだ。

途中図以下の指し手
△4四銀▲8五飛△同飛▲同桂△8二飛▲8六歩△5五歩▲同歩△同銀▲6七銀△8四歩▲5六歩△6四銀▲9三桂成△同桂▲9五歩△8五歩▲9四歩△8六歩▲9三歩成△8七歩成▲6八角△8五飛▲4八玉△8六桂(2図)

 しかし、八面六臂の働きにもかかわらず、谷川に△8六桂と桂を垂らされた2図では、形勢は先手不利である。さばけばさばかれる。先手はその動きを後手に利用された格好になっている。こういうことがままあるのを知っているから、多少の心得ある者は、動かずにじっとしている方を好むのである。

2図以下の指し手
▲7七桂△同と▲同角△5二金右▲8七歩△9八桂成▲7八金△9九成桂▲9二歩△9六歩▲9四飛△9五桂(3図)

見知らぬ手

 2図。次の△7八とが受からない。盤側の誰もが谷川勝ちの早い終局を予測していた。

 ▲7七桂は、見た瞬間、何かの間違いではないかと思える一手である。敵のと金が利いているところに手駒の桂を打つというのは、平常の将棋感覚にはない手なのだ。

3図以下の指し手
▲同角△9七歩成▲8六歩△2五飛▲9一歩成△9六と▲8四角△8六と▲8三と△8五と▲9三角成△9五と▲8四飛△8五と▲9四飛△9五と▲8四飛△8五と▲9四飛△9五と▲8四飛△8五と▲9四飛(4図)  
 まで、81手にて千日手

千日手指し直し

 羽生の摩訶不思議な勝負手▲7七桂を境に、局面の流れが澱み始めた。玉の堅さ、駒の損得、駒の効率のどれを取っても条件は後手の互角以上なのだが、実際の形勢は難しいという、訳の分からない局面が現れいでている。

 3図は夕食休憩の局面。再開後、羽生▲9五同角が着手されると、ほとんど時を経ずして、あっという間に千日手になってしまった。

 あまりの急激な予想だにしない展開に、しばし茫然である。

 指し易かったはずの谷川だが、千日手の局面では、千日手が最善。つまり、勝つ手がなくなっているというのも驚くべき事実であった。夕食休憩後の時間の使い方(正しくは使わさなぶりというべきか)から判断しても、谷川が指し直し局を意識して時間を少しでも残そうとしていたことが見て取れる。おそらくは夕食休憩の最中に3図以下の変化を掘り下げ、千日手やむなしの結論を出していたのだろう。

 感想戦では、3図の△9五桂では△8九成桂から△7九成桂と指すのが良かったということであったが、たった一手の疑問手で形勢が入れ替わってしまうのなら、もともと見た目ほど後手が良くなかったということになり、それも記者には納得できかねることなのだった。

 将棋とはまさに玄妙なゲームである。


第63期棋聖戦五番勝負第3局指し直し局
平成6年1月7日
於・神奈川県鶴巻温泉「陣屋」
▲王将 谷川浩司
△棋聖 羽生善治

初手からの指し手
▲7六歩△3四歩▲2六歩△3三角(5図)

挑発

 互いに手を変えると負けてしまう。そこに千日手の辛い必然がある。

 同一局面を繰り返すこと4回で千日手が成立し、棋聖戦五番勝負の対局規定に従い、30分の休憩の後、先後を入れ替え第3局の指し直し局が開始された。時は午後7時44分。指し直し局の持ち時間は千日手局の残り時間である。

 4手目。△3三角に控え室ではどよめきが上がった。△3三角は定跡にない手だ。

 やってくれるものだなあ、と盤側は単純に感嘆したが、羽生の挑発的態度を、谷川はどう受け止めていたか。

図以下の指し手
▲同角成△同桂▲6八玉△3二金▲2五歩△2二銀

(中略)

当然の一手

 ▲3三同角成は、当然の気合である。ここで角交換にいかない棋士はタイトルを争うことはできない。羽生は昨年のJT将棋日本シリーズでの対加藤戦でもこの△3三角をやっているが、その時の加藤も敢然と角交換に踏み切っていた。

(中略)

6図以下の指し手
▲4五歩△同歩▲同桂△4四銀▲3三桂成△同銀▲4五桂△7五歩▲3三桂成△同金寄▲7五歩△8六歩▲同歩△8五歩▲7一角△4二飛▲4四歩(7図)

学ぶべきもの

 6図から7図までの譜に、谷川将棋の大きさを見ることができる。

 まず▲4五歩が思い切った仕掛けである。

 4五での衝突となれば、桂交換になるのは必然である。先手陣が桂に弱い形をしていることを思えば、仕掛けを躊躇するのが常識的態度というものであろう。かなり攻撃的な棋風の棋士でも、ここはせめて一本9筋の歩を突き、陣容を広げておきたいと思うのではないだろうか。

 次に、桂を渡した後の敵の反撃手段をきっちりと見切っていることに着目したい。

 本譜▲7五歩と歩を払い、ここで△7六歩なら▲6六銀とかわして大したことはなく、譜のように△8六歩▲同歩△8五歩の継ぎ歩なら▲7一角の切り返しがぴったりだ。

 7図。▲4四歩まで、後手の飛車をよれさせて先手有望と思わせる分かれである。

 危険を恐れずに踏み込むことによって相手の指し手を限定し、それを叩く。こうした将棋の作り方を、これから棋士を志しタイトルを目指そうという少年少女らは、学んで欲しい。

7図以下の指し手
△8六歩▲5三角成△8二飛▲7一馬△8四飛▲8五歩△同飛▲7六銀打△8四飛▲8五歩△9四飛▲9六歩△5五歩▲同銀△6四桂▲9五歩△7六桂▲同銀△6四桂▲9四歩△7六桂▲7七玉△8七銀▲7九金△8八桂成▲4五桂△7九成桂▲3三桂成△同金▲4三金△3二金打▲3三金△同金▲4三金△3二金打▲3三金△同金▲4三金△3二金打▲3三金△同金(8図)  
 まで、100手にて千日手

両雄あい譲らず

 △8六歩に▲5三角成以下の指し手は、谷川流の将棋を貫こうとしたものである。その結果が、再び千日手無勝負になったことについて、とやかく言うことは記者にはできない。

 ▲5三角成という手は、攻めには働かず攻撃の絶好の目標になりそうな不遇をかこつ敵の大将をわざわざ呼び出して「いざ、尋常に勝負勝負」とやるようなものであって、勝ち負けの理屈からいうと利敵行為以外の何者でもない。勝負の辛さを感じる者なれば、ばかばかしくてお話にならないくらいの損な戦い方である。

 6図以降の戦いで、順風に乗った気配があることを思えば▲5三角成では▲8六同銀と玉頭の歩を払いおくのが順当な着手と言えるであろう。そう指しても後手にも△5五歩という切り札があって、優勢さだかとは言えないのだが、好調な時は局面の流れに逆らわないのが勝負のセオリーの一つでもある。

 しかし、そのようなことを承知の上で敢えて戦いゆく谷川の志を、記者は買いたい。

 指し直し局の千日手が成立したのは、午後10時24分。疲れ切っているはずの両雄の目は、三度の勝負をやると語ってはいたが、五十嵐豊一九段・桜井昇七段の両立会人と新聞社側を交えての協議の末、指し直し局のそのまた指し直し局は、第4局に予定されている日程にスライドさせるという裁定となった。的確な判断であったと思う。

 2局分の感想戦をみっちり行った後、零時近い時刻に打ち上げとなった。

 午前1時。羽生は打ち上げ会場を後にする。部屋に戻って休む、という雰囲気ではどうもない。まさか、と思っていると、これから愛車を駆って家まで帰るのだと言う。

 心身ともに疲れ果てているはずなのになんでまた、と半ばあきれながら羽生を見遣ると、顔に「部屋に戻っても、どうせ眠れませんから」と書いてあった。

 1時半過ぎ。打ち上げの宴は、中締めとなった。中締めというのは言葉の綾で、事実上はお開きを意味する。

 湯を使う。疲れた頭にシャワーが心地よい。元気を少し取り戻して娯楽室にとって代わった宴会場に顔を出すと、もう2時を回っているというのに谷川がいた。報道関係者らが座興に指すヘボ将棋を遠目に見ながら、穏やかな表情をたたえてはいたが、時折うつむいて喉元で息を堪えるような仕草をするのだった。残り火というにはあまりにも猛き炎が、未だ消せないでいるのだな、と思う。

 バタンと車のドアを閉めて羽生はウーンと伸びをする。頭を振って、雨傘の雫を弾き飛ばすように疲労のかけらを追い払った。ロックされた車の運転席側の窓が少し開いているのに気付くのは明日の朝になることだろう。

将棋マガジン1994年3月号グラビア、2回目の千日手が成立した直後。撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

1図から途中図に至るまでの、羽生善治棋聖(当時)の升田幸三実力制第四代名人を思わせるような荒捌き。

振り飛車党なら真似をしてみたくなる手順だが、居玉なので相当な腕力がないと難しそうだ。

それにしても、このような序盤からの激戦が千日手になるとは、誰も想像ができなかっただろう。

* * * * *

千日手が続き、勝負が決まらなかった場合、勝負に燃える心を鎮めることが難しい。

対局場が神奈川県の「陣屋」。深夜に自分が運転する車で帰宅する羽生棋聖も、ずっと宴会場にいた谷川王将も、勝負師ならではの鎮火の方法だったのだと思う。

勝負が終わった後のクールダウンとは、また違った性質のものだったに違いない。