近代将棋1988年2月号、湯川博士さんの「十代、この凄いルーキーたち」の「育ちの良さと将棋のカラさ」より。
ある時将棋雑誌の予想記事に、唐突に佐藤康光という名前を見て、これ誰なんだと思ったことがある。彼は2級の時に父親の転勤にともなって、関西奨励会から関東に移ってきた。
東京と大阪は雰囲気違います?
「大阪は静かですね。東京は3倍くらいいるんじゃないですか。棋士も多いし、にぎやかです。大阪の方が悪くいえば暗い感じです」
強い強いって書かれているけど、ああいう記事を見てどうです。
「恥ずかしい。買いかぶりですよ」
でも勝率が強いってもの語ってますよ。
「まだA級やタイトル者とあまり当たっていないんですから、勝率なんて言っても」
A級を倒さないと本物ではない、か。強い人では誰と当たりました。
「中原先生と高橋先生。どっちも吹っ飛んじゃいました。手合い違いです」
学校の帰りによく連盟に寄っているようだけど、近くなの?
「エエ、すぐそこ。近いんで今の学校選んだんです。大学も続いている所なので行くかどうかちょっと悩んでいるところです」
ところで将棋の勉強はどんな方法で?
「主に実戦です。今5つの研究会に入っています。島研とか室岡研とか。今の目標はとにかくC級2組から抜けて早く五段になることです。ボクは運も良くて、今年の3月の第2例会の第2局、つまり前年度の最後の対局に勝って四段に昇級したんですよ。それで今年の順位戦にギリギリ参加できたんです。将棋には運も大切なので、今のうちにぜひ昇級したいです」
臆せず正直な語り口に、人柄の良さ育ちの良さを感じた。人柄とは反対に棋風は、粘りのある耐えるのが好きな将棋という。
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「大阪の方が悪くいえば暗い感じです」
意外な感じがするが、厳しさの中にも家庭的で明るい雰囲気になったのは、もっと後の時代のことになるということなのだろう。
あるいは、同年代で先崎学四段(当時)のような棋士もいて、大人数の関東のほうが相対的に明るい感じがしたのかもしれない。
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「エエ、すぐそこ。近いんで今の学校選んだんです。大学も続いている所なので行くかどうかちょっと悩んでいるところです」
佐藤康光四段(当時)が通っていたのは國學院高等学校。
夜遅く、順位戦の感想を聞いてからの帰宅途中、高校の制服を着ていたために交番に呼ばれ、それ以来、授業を終えるとまず自宅に帰り、私服に着替えてから連盟に現れるようになった、と言われている。
このインタビューの頃は、まだ交番に呼ばれる前だったと考えられる。
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「臆せず正直な語り口に、人柄の良さ育ちの良さを感じた」
佐藤康光九段は、いつも真摯で本当に人柄が良い。
しばしば、面白いことを言うところがまた良い。