将棋世界1990年2月号、「ホットニュース、今!」より。
名人駒
皇居内で名人戦が対局されたことがある。昭和24年の塚田-木村戦で、この一戦に勝って木村義雄名人が不死鳥のようにカムバックした。昭和天皇は地方巡幸中で天覧の栄は賜らなかったが、のちに投了後の将棋を侍従と指したら勝負が逆転したというのは有名な語り草である。
皇居内の名人戦で用いた駒は、その後名人戦でのみ使用することになり、以来「名人駒」とよばれる。
名人駒は奥野一香作の糸柾のもので、伝統的な駒師の影水・宮松幹太郎氏を「あの駒はいい。私にはとうていつくれない」といわしめたほどの銘品である。書体は安清と源兵衛清安をミックスした感じで、奥野一香は”宗歩好み”と命名した。しっとりとした落ち着きのある書体である。
将棋連盟販売部は、平成の年号制定を記念してこの名人駒の普及版をつくった。
竹風、玉竜、桂山といった現代の一流駒師の手による作品で、彫駒は5万円から6万円。盛上駒は30数万から70万円までのものがある。
大山康晴十五世名人は「よい道具をそろえることが上達の近道」と常々語る。
(以下略)
* * * * *
名人駒の由来、宗歩好みの位置づけについて、この記事で初めて知ることができた。
名称は聞いたことがあっても、まだまだ深くは知らないことが多いと感じさせられる。
宮松幹太郎氏は伝説的な駒師で、宮松駒といえば最上級の駒の代名詞となっているが、その宮松氏が「あの駒はいい。私にはとうていつくれない」と言うのだから、凄すぎる。
名人駒の写真→宗歩好島黄楊赤柾盛り上げ駒(駒の詩)
奥野一香氏については、次のサイトが詳しい。