米長邦雄九段「やはり、さすがに佐藤康光である」

将棋世界1991年11月号、米長邦雄九段の「端歩三題」より。

将棋マガジン1991年8月号より。撮影は中野英伴さん。

 思うところあり、そろそろ観戦記者に転向させていただこうかと考えている。

 将棋は難しい。恐らく世界中で一番結論を出しにくいゲームではなかろうか。この難しい指し手の内容を、いかに多くの読者にわかり易く伝えるか。これも又難しい。観戦記や自戦記というものは、あるいは対局者よりも難しい仕事かもしれない。

 今月は趣向を変えて、雑感ということで、端歩などについて随筆風にいろいろ述べてみたい。

 ここ数年、若い人に将棋を教わって、私も序盤がだいぶわかるようになったようだ。

 とにかく、若先生方の研究熱心ぶりは頼もしい限りである。

 プロ棋士が将棋を一生懸命に研究する、そして、アマチュアが将棋を楽しむ、という中にあって、ここの所、観戦記者の勉強不足がやや目立つのではないか、というのが私の見解である。

 例えば、私が序盤の研究をする。

 それを、今さらそんなことをしても仕方がない。あるいは、序盤作戦が重箱のスミを突付くようになって面白くない、などと書かれていたりする。

 確かにそれも一理あるかもしれない。

 それでは、研究しなければどうか。

 オジンは将棋を全然勉強しない。だから若い連中の序盤作戦についていけなくて負けてしまうのだ、という非難になるのである。

 近頃は棋士や将棋に愛情を持っていない文章を目にする事がある。

 そこで、昨今の将棋の研究ぶりに私の雑感などを交えて、いろいろと取り留めのないことを書いてみたいと思う。

 いささか専門的で難しいことを難しく表現してあるかもしれませんが悪しからず。

名人戦の端歩

まず、1図を見て頂きたい。

 これは今年の名人戦にも現れた局面である。

 その時に私は▲4六歩と突いたのだが、なぜ先に▲1六歩と突かないのか、と後で若先生方に往復ビンタを食らったのは以前に告白した通りである。

 ところが、その直後に出た佐藤康光先生の原稿を読むと、ここで▲1六歩は△5五歩と突かれて危険である、米長流の▲4六歩が最善かもしれない、という風なことが書かれていた。

 やはり、さすがに佐藤康光である。

 1図で▲1六歩と突くべきか▲4六歩と突くべきか。実はこれがたいへんな問題なのである。

 ▲1六歩に△1四歩と受けるのなら、いつでも端にイチャモンをつけることができ、そこで▲4六歩の方が単によりはハッキリ得である。

 問題は△5五歩と変化してきた時に▲1六歩と突いてある方が良いのか、▲4六歩の方が良いのかだ。

 ▲1六歩に△5五歩と来たとして、以下▲同歩△同角▲5六金△7三角▲6五金△8四飛▲7五歩△同歩▲7四歩△5一角(A図)と進むことが考えられる。

 A図で形勢は難しい。

 この時に、A図ならば▲4六角と出られる。▲1六歩ではなく▲4六歩なら▲4五歩と突ける。ということで、これがどちらの方が良いのかわからない。

 また▲4六歩に△5五歩の時は▲同歩ではなく▲4七銀と上がることも考えられる。これは名人戦の進行である。

 ▲1六歩となぜ突かないか、と叱られたのだが、それには深い理由があったのだ。

 俊英・佐藤康光がやっぱり米長先生は大したもんだ、という風にそれを匂わせてくれたのは非常に嬉しかった。

羽生の端歩

 2図は3年程前の新人王戦の決勝戦 羽生-森内戦である。

 この▲9六歩を将棋史上に残る一手と私が評したのも以前に記した通りである。

 くどいようだけれども、今見ても素晴らしい一手であることに変わりはない。

 その将棋の終局後、関係者が再三再四、打ち上げの宴席へと声をはさむのだが、二人は全く耳を貸さぬ。いつまでも感想戦をやっていたいような風情であった。私とて同じであった。結局、延々2時間に及ぶ検討の末、やむなく折れてお開きとなったのだった。

 しかし、実はこの▲9六歩は悪手である、ということになったのだ。

 それを証明したのは、岡崎の天才・石田和雄八段である。

 2図以下、△6五歩▲5七銀△7五歩▲同歩△同銀▲7六歩。ここまでは新人王戦と同じである。

 次の一手の△8四銀(3図)が新手なのだった。

 新人王戦は△6六歩。ところがじっと銀を引いておく摩訶不思議な屈伸流という手があったのである。

 3図で先手の指す手が非常に難しい。

 例えば、端歩を突かないのならこちらから突き越しますよ、とじっくり▲9五歩などとすると、すかさず、△9四歩▲同歩△7五歩▲同歩△9四香▲同香△7五銀(B図)となって、これは一方的に攻めまくられて”オ”の字になってしまう。

 かといって、得意の▲7二角~▲8三角成も、7四歩がない現状では銀にヒモがついていて、あまり効果は望めない。

 飛銀桂が妙にしっかりしていて、攻め駒を責めるという桐谷広人得意のマッサージ作戦なるものも通用しない。

 その上、一歩持たれているため、次に△8六歩と突いてくる攻め筋がある。▲同歩なら△8五歩のツギ歩攻めができるのが一歩を持っている効用である。

 あれやこれやで、▲9六歩では形勢有利に導けない、という結論に達したのだ。

 したがって、私が将棋史上に残る一手と絶賛したこの一着も、数年を経て疑問符が付いたのである。

中原の端歩

 4図を見て頂きたい。

 今年の1月に行われた竜王戦で、先手の加藤九段の▲2五歩に対して後手の中原名人が端歩を突いた局面である。

 この△9四歩を見て、若手の先生方は「中原先生もぼけましたね」と言ったものだった。

「どうしてこんなところで端歩を突くんでしょうね。なぜ△7三桂と跳ねないのでしょうか」

「先生、名人戦は大丈夫ですよ」

 と励まされたのである。

 そして、名人戦もめでたく終わり、8月の時点で再び訊いてみた。

羽生「中原先生は本当に強い。この手の意味がようやくわかってきました」

島「この手は私は一生かかっても突けないでしょう」

森下「ようやく私は中原先生の強さがわかりました。この局面では△9四歩が最善手です」

 驚くことに評価は180度変わっていたのである。

 そこで、どうしてこの△9四歩が素晴らしいのかを簡潔に解説してみたい。

 まず4図の△9四歩では駒の効率から考えて、△7三桂が一番自然な手であろう。6四角、7四銀、7三桂の構えは理想形とされるもので、桂を跳ねて悪かろうはずがない。

 何より、次に△8六歩と突いて▲同歩なら△8五歩、▲同銀なら△8五銀と、いつでも襲いかかることができる。

 しかし、△7三桂に▲4八飛と回られて、そこで△8六歩と攻めると、以下▲同銀△8五銀▲7五銀△同角▲同歩△7六銀打▲同金△同銀▲4九角△7七歩▲同桂△8七銀成▲同金△8六歩(C図)までほぼ一本道。

 C図で▲8三歩からの連打もあるし、仮に▲8五歩△8七歩成▲同玉としても、どうも後手の攻めは切れ筋となるようである。

 それで▲4八飛に対しては△8六歩ではなく△4四金と立つことになる。以下、▲4六歩△4二飛▲4五歩△同金▲4六歩△4四金▲2六銀△4三金引▲3七桂△4四歩(D図)の進行が考えられる。

 D図ではいきなり攻めるか、あるいは▲1七香、▲4九飛、▲1五歩などと待機するのか、非常に難しいところなのだが、いずれにしても機を見て、先手側から攻めかかることになりそうだ。

 簡単に言えば、その時に△7三桂と跳ねていない方が受けやすいのである。

 例えば、D図からいきなり▲4五歩と仕掛けたとする。以下△同歩▲同桂△4四銀▲2四歩△1九角成▲2三歩成△同玉(E図)という進展がぱっと思い浮かぶ。

 E図で▲2四歩と打ってからか、あるいは単に▲4六角とぶつけ△同馬▲同飛となるだろう。

 この時に7三桂型の弱点が露呈するのである。

 つまり、▲5一角と打ち込む手、▲7五歩と突いて△同銀なら▲7四歩、などという手が生ずるのだ。

 こういう変化に△なった時には、明らかに△7三桂より△9四歩の方が優っているのである。

 中原-加藤戦では、△9四歩以降、D図と同じ進展で5図となった。

 5図以下は▲1七香△9二飛▲4九飛△9五歩という進行であった。

 あくまで△7三桂と跳ねず、△9二飛~△9五歩が中原名人の遠大な構想だったのである。

 △9五歩以下は、そこで▲5五歩から襲いかかったのだが、終盤の△9六歩からの反撃が見事に決まって、この将棋は中原名人の快勝に終わっている。

 しかるに、その後の研究で5図ではすぐに▲5五歩と突く手があるらしい。

 俊英森内の見解では、以下△同角に▲4五歩△同歩▲2四歩(F図)と突き出す。

 F図以下は、△同銀なら▲4五桂で次の▲2五歩を見る。△同歩なら▲4五桂△4四銀に▲2四角と出て、これが飛車取りで調子が良い。

 どうも、これでガンガン攻められると、後手も受け切るのは容易ではないようである。

観戦記者に望む

 というわけで端歩三題、3つの局面での端歩についていろいろ述べて来たのだが、これらのことを本当に理解できるのは日本中でも何人もいないのである。

 例えば、4図の△9四歩を素晴らしいと感心する人がいる。あるいは緩いのではないかと思う人がいる。

 しかし、この△9四歩についてハッキリとコメントできる人は、日本国中に10人もいないだろう。

 一千万人からの将棋ファンがいる中でも、この手についての見解が述べられる人はそうはいないはずである。

 また2図の羽生の▲9六歩を見た時に凄い一着と感じた人も、プロの中にさえ10人いたかどうか。

 その手を咎めたのは石田和雄八段だけである。

 そして、名人戦で▲1六歩と突かなかったことを、私は若手の先生方から非難されたのだが、その手に対してとやかく言える若手というのも数少ない。

 何しろ、相手は私なのである。

 それなりの研究、努力の裏付けがなければ、私に対してそれだけのものは言えまい。

 しかしながら、やはり米長先生が指した▲4六歩の方が良いのではないか、と言った佐藤康光はタイヘンな男である。

 このように、端歩一つを取ってみても、ハッキリと見解を述べられる人はごくわずかなのである。

 このわずかな人達がタイトルを取り、勝率1位、2位、あるいはそれに匹敵する成績を挙げている。

 そういうわけだから、ここで端歩に関して難しいことをあれこれ述べたところで、正直な話、良いも悪いも、将棋世界の読者にはチンプンカンプンであろう。

 何しろ、書いている私でさえよくわからないのである。また、時とともに見解も変わっていく。

 だから、その内容を読者に伝えようとしても無理というものかもしれない。

 しかし、研究熱心な若者達がこれだけ心血を注いで努力しているのだから、手の内容はわからないとしても、そういう背景があるのだと読者に伝えるのが文章の力というものだろう。また、その義務があるはずである。

 プロ棋士が一生懸命に研究し、将棋が少しずつ変わっていく。その手の意味をわからせようとしても無理がある。しかし、それのポイントを捉えてファンに知らせる、その表現能力こそライターの力量であり、それだけ勉強熱心なプロ棋士に対する礼儀でもあり、愛情でもあろうかと思う。

 最近の一例を挙げれば、角換わり腰掛け銀の将棋を見て、重箱のスミを突付くような序盤で優勢にしてそのままスミ1で勝つような対局が多い、これで何が面白いのか、せこい、などという表現が見受けられる。

 これは極めて宜しくない。

 自分がわからないからといって、つまらないことを研究している、というのでは困るのである。

 表現の研究と愛情を切に望みたい。

 できれば、プロ棋士は対局のみに専念して、文筆は表現力豊かな愛情あるライターにまかせたい。

 私の自戦記、拙文が抹消されるような日々が来て欲しいものである。

 嫌いな文章を書く人の名前は挙げる訳にはいかないが、好きな人を挙げさせていただこう。

 紅(東公平)氏はピカ一。時には辛辣な事も書くがユーモアと好意が隠されている。福本和生、高橋呉郎……。

 数え出すとキリがないが、団鬼六先生は別格。SMで一時代を築いた作家だが、なににつけてもひとつの道でつき抜けた人というものは、言動に屈折したところがなくて良い。氏は将棋ジャーナルの主宰者であるが、内容、イメージを一新してしまわれたのには敬服する。ただ同誌は店頭から姿を消し通販専門誌になるとのことだ。どうか貴方も定期購読会員になっていただき、将棋世界同様可愛がって欲しい。

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推察していくとキリはないが、「団鬼六先生は別格~どうか貴方も定期購読会員になっていただき、将棋世界同様可愛がって欲しい」の最後の8行を、米長邦雄九段はとにかく書きたかったのではないだろうか。

そのマクラとしての「端歩三題」。マクラでなかったとしても、非常に素晴らしく、また奥深い内容だ。

矢倉の端歩が、想像を絶するほど難解なものであると実感できる。

矢倉の「純文学」的な側面が、これでもかというほど出てくる。

とにかく将棋は奥深い。