豊川孝弘四段(当時)「転機はある日突然に」

将棋世界1991年11月号、豊川孝弘四段(当時)の「四段昇段を果たして 転機はある日突然に」より。

将棋世界同じ号より。

 平成元年6月、三段に上がった。二段に上がってから4年目、奨励会生活が8年9ヵ月なのでおよそ半分に当たる。何となく四段が見えてきたような気がしてすごく嬉しかった。

 10月、第6回三段リーグが始まった。22人参加の中で僕の順位は20枚目。

 平成2年3月、三段リーグ最終日、14勝4敗次点。後半戦6連勝したが、上位の2人には届かなかった。くやしいんだか情けないんだか、何ともいいようのないものが心の中で炸裂していた。

 平成2年4月、第7回三段リーグ、24人参加で順位は1枚目。

 9月、三段リーグ最終日、10勝8敗。前半に5連敗してしまい昇段争いに参加出来ず。

 10月、第8回三段リーグ、26人参加、順位は4枚目。1局目の相手は、相性の悪い庄司三段。角丸得のヒッ上の将棋を敗れる。正直また今期もだめかと思ったが、逆に肩の力が抜けたのが良かったのかその後10連勝、しかしメッキはすぐに剥がれてゆく、後半5連敗。

 平成3年3月、最終日、既に昇段者2人は決まっていて、カメラマンの人が昇段者の対局写真を撮っている。何ともいえない気分に襲われる。その日は当然の2連敗で11勝7敗。

 将棋で負けると普段何をやっていても面白くない。盤に向かっていなくても頭の中は将棋の事でいっぱいだ。

 4月、第9回三段リーグ、またしても1局目に敗れる。それから2ヵ月間生まれて初めて酒びたりの日々が始まる。一人で近くのバーに行き朝5時まで酒を飲み、起きるのは夕方3時過ぎといった感じで、リーグ戦も1勝1敗続きで4勝4敗。これじゃ駄目だと思いながらもダラダラと……。

 6月、私生活の面での幸運な出来事があった。その日を境に流れはいい方へと傾いてきたような気がする。2連勝、これで6勝4敗。

 7月、大阪遠征。11戦目、村田三段に苦しい将棋を逆転したのだが最後の最後で寄せ間違えてしまい惨敗。ああ、今期もまた駄目かと思ったのだが、なんと幸運にも残り7連勝、13勝5敗の成績で昇段することが出来た。

 図は最終戦、小河三段との将棋の終了図で僕の奨励会生活最後の局面……。

 最後になりましたが、今までお世話になった方々に、誌上を借りてお礼を申し上げます。

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豊川孝弘四段(当時)、24歳での四段昇段。

三段リーグ4期目の昇段なので、三段時代が決して長期に渡ったわけではなかったものの、息詰まるような思いが強く伝わってくる。

本当に三段リーグは大変だと思う。

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「6月、私生活の面での幸運な出来事があった」

これは普通に考えれば、宝くじに当たった、好きな女性との交際がうまくいきはじめた、捜し物が出てきた、などのことが考えられるわけだが、どのようなことがあったのかはわからない。

一番可能性が高いのは、恋愛関連だと思うが、恋愛の進展が将棋に好影響を与えない場合もあるので、何とも言えない。

どちらにしても、そのような転機があったのは大きい。

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昇段をしたばかりの頃。→豊川孝弘四段(当時)「人に情に燃えました」