泉正樹六段(当時)「これから先は、決して食事をしながら読まないでください」

将棋マガジン1991年11月号、泉正樹六段(当時)の「囲いの崩し方」より。

 ”警告”これから先は、決して食事をしながら読まないでください。

〔ヒント〕日本人においては、3人に1人の割合でかかる病。

〔候補病名〕①盲腸 ②水虫 ③痔

 どれもこれも3分の1だが、ずばり正解は③の痔(オーはずかし)

 中学2年生の頃だったろうか、いつものように固めの”ウン固”を力みながら放出したのだが、はっきり言ってけっこう痛く、トイレットペーパーには、血がキッパリにじんでいた。そんな局面が時たまあったが、少し時間が経てば痛みもおさまったので、「そんなものかな~」と変に納得して、気にかけないように努めた。

 この「痔」というやっかいな代物に、ようやく目覚めたのが17の頃。

 当時は麻雀地獄に心を奪われていたので、銭湯に行くなど週にせいぜい2回ほど。

 ある朝、激痛と共に、我が身の一部であるはずの肛門の肉弾が糞出といっしょに、飛び出るはめに。

 このままでは、痛いし、歩きづらいので、そのうちに指で押し込む作業が習慣になっていった。(うっ)さすがに心配になって、お袋に相談した所、「フロあがりにミサイル(坐薬)を打ち込め」ですと。

 さっそく実行に移すと、これがなかなか良く利くので、「大したやっちゃ」とミサイル様に敬意を表し、「痔」の実力も格下げとなった。

 しかし、この評価はまるで甘く、一時的にはおさまったが、無理を重ねる度に少しずつ悪化し、むしろ大局的には成長を重ねていたのだ。

 そうしているうちに、10年の歳月はあっという間に流れ、「痔」の棋力は、我が手におえぬ強靭さを着実に兼ね備えた。この間、何度医者へ突入しようかと思ったか数え切れない。

 なぜなら、対局中に失礼して、お湯にひたしたおしぼりで、患部に「まあ、まあ、ここは一つおだやかに」と、トイレでなだめたり、麻雀でラスを引いた抜け番には(連盟は常に3人麻雀)、シャワーを浴びにわざわざ家に戻るという、離れ業までやってのけるよりなかったからだ。

 だが、医者に行くのは心底いやだった。即座に「これは最悪、手術より他に打つ手がない」と言われる恐怖感もあったし、何よりも”看護婦さん”にお尻を見せるなんて最低の事を「男ができるか、情けない」の気持ちが自身を支配していたから。

「痔」という病を言及するに、酒、辛物、たばこ、色欲などを控えない限り回復の余地はありえない。

 上の項目にあやつられる我が身では、なす術なしの状態も順当なのだ。

 恥も外聞もかなぐり捨て、「医師に見せよう」と決意したのが約2年前。

 遂に生まれて初めて肛門科の自動ドアをくぐった訳だが、午後3時頃ということもあり、待合室には患者さんはおろか、猫の子一匹さえも存在しなかった。

 全身不安に覆われつつ考えたことは、「お尻専門なのに、なんで一人もいないんだろ」で、「もしかしたら、都内で有名なヤブ医者かも」との疑惑の念も頭にもたげてきた。

「やっぱ、やめとこかな……」の退却感が9割方を占めた時だった。

「泉さん、お入りください」年配の看護婦(1人だけ)さんの声が、私に決断を促した。

 観念した私は、絞首台に赴く様に診察室へ……。恐怖を残しつつ、次号、最終回へ続く。

(以下略)

将棋マガジン1991年12月号、泉正樹六段(当時)の「囲いの崩し方」より。

 続!!「痔主」が泣いて喜ぶ話。

 診察室で待ち受けていた先生は、ぞんざいな髪型で、牛乳ビンの底の様は眼鏡をかけていた。

 見るからに気短そうな風貌で、どことなく、手術に飢えているようでもあった。

 恐怖のあまり「実は私の尻合の者がひどくて……」との、まるで何の役にも立たない逃げ口上を発したが、気合のよい看護婦さんに「嘘おっしゃい、何ですか男のくせに」と、震えているのを、いともたやすく見破られてしまった。

 おばはんごときに、そこまで言われて見せなかったでは、今生、後悔だらけの人生で終わるし、男もすたる。

「エエーイ」とばかり、気合返しでズボンを脱ぐと、医者は「これは最悪。一発注射しか手立てはありません」という言葉が返ってきた。

 これに対し私は、「最悪」との回答は予期していたものの、何で「注射」なんだろうと複雑な思いに興味を馳せた。

 この”一発注射”医師が言うには、イボに直接ハリをブッ刺し、薬を注入するらしい。すると、1週間後にはイボ痔も腐り、消滅の一路を辿るとか。

 純粋脳細胞の私は、「そんな簡単に治るんですか~」と、全身、希望の光に覆われ、その日は痛みもどこへ行ったやらで、スキップ同然帰って行った。

 ところが次の日、たまたま飲み会があり、この画期的な手術法をぶちまけ、相談したところ、友人に痔主がいる人から、すぐさま「それは絶対にいけない。費用が6,7万円とかで安いから簡単にうける人が多いけど、うまくいっても再発するケースが非常に高い」。さらには「一発注射と聞いたら、ワンコロさんもキャンキャンいって逃げまわるらしいから、よほど用心が必要だ」と、心底心配そうに話すのであった(正確には、腐食剤注射療法)。

 信頼する人からこう言われた「長いものには巻かれろ」を座右の銘とする私は、しぶしぶながら従い、代わりに絶対的に安心できる肛門科を紹介された。

 それは南青山にある「平田肛門科」で、行ってみると診察前というのに、約20人程の人が、自分の出番が来るのを「いまか今か」と待ち焦がれている様子。

「そうそう、これは映画でよく出てくる軍人病院並だ」なんて、変に納得しながら、スケールの大きさにド肝を抜かれた。

 また、「これだけ患者さんがいるんじゃ、看護婦さんもよりどりみどりだな」てな具合に、安心感と共に下心もなぜだか、しゃしゃり出てくるのだ。

 待ちにまったり2時間後、出動すると、部屋の雰囲気は、エデンの花園。

 先生の印象はやさしい菩薩様だし、予想以上に看護婦さん達がきれいで、しかも20代前半という若さ。

 しかし、だからこそ、お尻を見て頂くのは、本当に恥ずかしかった。「背に腹はかえられぬ」とは言うけれど。

 我が尻の具合は、先生の診断によれば、立派な”第4段階”とのこと。

 これは第1から第4までの痔の棋力が分かれていて、私のは高段者レベルを意味している。

 ガックリ来ていると、先生が温かい励ましをくださった。

「泉さん、医師にも確信の持てないところは存分あります。ですから、とりあえず1ヵ月様子を見て、その時点で決めましょう。これは私の出した本ですが、手術に関することもありますので、よく見て考えてください」

 他にも、色々と言ってくださったが、先生は自分の判定を押しつける風でもなし、淡々として、良き理解者というイメージ。ひとまず安心、安心。

 それから、週に2回そこに通い、すべてに納得して、私は遂に手術を決断した。

 あれは忘れもしない平成2年4月30日。

 さながら、武士が観念した心境だったことも確か。というのも、野本先生、佐藤(義)先生、飯野兄弟子といった先輩達が、少々面白がって私をおどすから。

 特に、野本パパに至っては、「人間、エビになる程怖い事はない。聞いた話だが、麻酔を注射する時の痛みは想像を絶するものがあるらしいよ」

 と、可愛い後輩に同情のしぐさ。

 しかも、兄弟子が昔、麻酔が体内に入りづらくて大往生したなんて甚深に言うから、一層おじけづいた。

 だが、これらはほとんど先輩達のブラックジョークで、わけなく麻酔注射は済み、恐怖に覆い隠されたものは完璧な取り越し苦労で、終止符。

 手術法は”結紮切除法”というもので、麻酔が利いて20分もすると簡単に終了したが、「本当にもういいの」なんて、疑心暗鬼になるぐらい。

 実際に先生が、「今、切ってるけど、どうだい、全然感じないだろ。この小さいのもやっとくからもう心配ないよ」。おまけに「これだけ、可愛い看護婦さん達に囲まれ、君は幸せものだよ」だって。

 この医師は山本先生という方で、手術の時にだけ派遣されているらしい。さすがに、初対面なだけにビックリしたが、「俺も将棋はよくやるよ」で、親近感をおぼえたのを思い出す。

 手術後、10日間の入院生活に入ったが、自分をみつめ直すのにいい機会も得た。

 ただ、排便の時は地獄の沙汰。なにしろ、固まりと一緒に鮮血もそそぐから、その痛いの痛くないのといったら、思い出しただけでも身の毛がよだつ程(当然、個人差あり)。

 退院後は、徐々に痛みもおさまり、2ヵ月も経つと、痔主だったことなどうそのよう。

 こうして、「身から出たサビ」は解消され、晴れて、健康を得ることができたという訳。……感謝、感謝。

(以下略)

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昨年から将棋世界で「戦国順位戦」の欄を担当している泉正樹八段。

現在もユニークな面白さを発揮しているが、昔から面白かった。

実際に会っても面白い。

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ここに出てくる平田肛門科は、1935年に開設された85年の歴史を持つ病院。

可能な限り手術をせずに治療を行う方針が貫かれており、内痔核の手術率は12%だという。

現在も非常に高い評価を得ているようだ。

平田肛門科医院

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そういえば、昔、顧客の担当者の一人であるAさんに電話をしたところ、「Aは、急に長期出張が入って、戻ってくるのは1ヵ月後になります」と電話に出た人が教えてくれたことがあった。

後日、同じ部署の別の担当者と打ち合わせをする機会があって、「Aさん、突然の長期出張で大変ですよね」と話すと、「本当は痔の手術で入院しているんだよ」と、その担当者が解説してくれた。

なるほど、「病気で1ヵ月休む」と言うと、対外的には変に心配をされるし、誤解も生みやすい。かと言って「痔で入院」もあまりにも具体的過ぎる。

対外的に「長期出張」とは、なかなか好手筋だと思ったものだった。

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泉八段が書いた面白い話の一部。

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