将棋世界1994年12月号、グラビア第7期竜王戦七番勝負〔佐藤康光竜王-羽生善治五冠〕第1局「パリを行く」より。撮影は弦巻勝さん。
10月15日、約12時間のフライトを終えてシャルル・ド・ゴール空港に降り立った佐藤竜王、挑戦者の羽生名人らの関係者一行は、バスでセーヌ川左岸の対局場のホテルへ向かった。日本企業のネオンの多さや予想外の車の多さに驚いているうちに、バスは市内へ。陰影に富んだ古い石造りの街並みや、ライトアップされたシャイヨ宮などの歴史の重みを感じさせる建物が次々に窓の外に現れてくる。その美しい夜景は、一行を温かく迎えてくれているかのようだ。
翌16日は、朝から市内観光。エッフェル塔をバックに写真撮影の後、モンマルトルの丘へ登る。「ミサを殊勝な気持ちで聞きました」とは、サクレ・クール寺院の中を見学した羽生名人。
一方の佐藤竜王は、近くのテルトル広場で似顔絵のモデルに。通りがかりの観光客が立ち止まって見ていくので恥ずかしい、としきりに照れていたが、絵描きから「彼は役者か?」と聞かれるほど、落ち着いた容貌が芸術の都にしっくりと溶け込んでいた。
有名な鴨料理に舌鼓をうった後、サンジェルマン・デ・プレのカフェ”レ・ドゥ・マゴ”のテラスでコーヒーを一杯。ランボーやサルトルも常連だった文化人御用達の有名なカフェである。
ホテルに戻り夕方から羽生名人は、フランス、オランダなどの将棋愛好家と6面指しの指導対局を行った。会場の一角では、佐藤竜王がチェスの元世界ジュニアチャンピオンと再開する姿も。ヨーロッパの将棋ファンは熱心な人が多く、中には中将棋が好きだ、という人までいるのには驚く。
17日の午前中は自由時間。ルーブル美術館へ行った佐藤竜王は、館内でばったり羽生名人とハチ合わせしたとのこと。夕刻からは、ホテルで前夜祭が盛大に行われた。ヨーロッパ各国から大勢のファンが集まり、海外対局ならではの華やかな雰囲気である。対局前の抱負を聞かれて、佐藤竜王は「パリは美しい街なので、それにふさわしい将棋が指せれば」と洒落たコメント。羽生名人は「ベストを尽くして、内容の濃い将棋を指したい」ときっぱり。その後、両対局者が通訳を交えずに地元の愛好家と熱心に語り合う姿は、将棋の海外普及の明るい未来を約束しているように頼もしく映った。
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竜王戦の海外対局は1990年の第3期から始まっており、フランクフルト、バンコク、
ロンドン、シンガポールを経て、パリでの対局となった。
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「機内でガイドブックを読んでいる佐藤竜王と眠っている羽生五冠」
羽生善治五冠(当時)も佐藤康光竜王(当時)も出発前日に対局があった。
羽生五冠は11連勝中。
佐藤竜王は、エッフェル塔の前の写真でも右手にガイドブックを持っているようで、研究好きな面が表れている。
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サクレ・クール寺院は1914年に完成された大聖堂で、エッフェル塔とともにパリ市内を見晴らせる観光名所。
有名な鴨料理は、老舗で鴨料理が名物の「トゥール・ダルジャン」である可能性が高い。
「レ・ドゥ・マゴ」は1885年創業のカフェ。
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「一方の佐藤竜王は、近くのテルトル広場で似顔絵のモデルに。通りがかりの観光客が立ち止まって見ていくので恥ずかしい、としきりに照れていたが、絵描きから『彼は役者か?』と聞かれるほど」
写真のキャプションには、
「あんまり見ないでくださいよ」。照れる佐藤竜王だが、見物に回った羽生名人は「似合ってますね」
と書かれている。
似顔絵を描かれるのが「似合っている」というのも不思議な雰囲気だが、パリの街並みの光景に佐藤竜王がピッタリとはまっているということを意味していると考えられる。
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『彼は役者か?』
佐藤康光九段の弟の市川段一郎さんはまだこの頃は歌舞伎役者になっていなかったが、そのような意味では、この画家は見る目があると言っても良いだろう。
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「17日の午前中は自由時間。ルーブル美術館へ行った佐藤竜王は、館内でばったり羽生名人とハチ合わせしたとのこと」
前日、いろいろな所へ行っているので、エッフェル塔へ登るかルーブル美術館へ行くのかの二択だったのかもしれない。更には、前日にエッフェル塔の前で写真撮影があったので、なおのことルーブル美術館へ足が向かったのだと推察できる。
それでも、出会ってビックリしたことは間違いなさそうだ。
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このパリでの竜王戦第1局は、相飛先交換腰掛け銀の戦いとなり、羽生五冠が118手で勝っている。