羽生善治名人の初著作「ミラクル終盤術」より、18歳の羽生五段の感じ方と日常。
[第3章]玉は下段に
毎年新年を迎えると、とりあえず目標を立ててしまう僕ですが、大抵、三日坊主に終わってしまいます。
”言うは易し”ということで、多少無理気味の目標を立ててしまうせいかもしれません。
また、僕の優柔不断な性格が災いしているのかもしれません。
こうして、冷静に考えてみると、原因が解っていながら、いっこうに進歩のない自分に呆れます。
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1988年の正月、現在の羽生名人からは想像がつかないような文章だ。
しかし、この年、羽生五段は1985年12月のプロデビュー以来、棋戦での初の優勝を飾る。
1988年のNHK杯戦。
大山康晴(3回戦)、加藤一二三(準々決勝)、谷川浩司(準決勝)、中原誠(決勝)と、名人経験者4人を破っての優勝。
有名な絶妙手▲5二銀が出たのも準々決勝の加藤一二三九段戦だった。
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1988年は、高校を卒業して将棋一本に打ち込めるようになった年。
中原誠十六世名人も、高校在学中はなかなか三段リーグを抜け出せなかった。
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明けて1989年、羽生五段は将棋大賞の最優秀棋士賞を史上最年少で受賞。
以来、17回、最優秀棋士賞を受賞している。
そして、昨日発表された将棋大賞でも最優秀棋士賞を受賞している。→第38回将棋大賞
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すごい棋士が現れたものだと、今更ながら強く感じる。