村山聖九段のフェイント

1998年8月8日に村山聖九段が亡くなってから今日で13年。

今日は、1996年の村山聖八段(当時)のエピソードを。

先崎学八段の2001年に刊行されたエッセイ集「フフフの歩」より。

二月某日

 村山君と田村君との早指し選手権戦の決勝を見に行く。その前に新宿で、カレーを食べて、東急ハンズで買い物をしていると、パーティーグッズ売り場に月桂樹の冠とオモチャの金メダルを売っていて、思わず買ってしまった。確かテレビ東京のスタジオでそのままハーティーがあるから、そこで使おうというわけである。我ながら、よくこういうくだらない不謹慎なことだけ思いつくものだ。

 控室にいくとびっくりした。若手棋士の多さにである。それだけこの二人が人気者なのだろう。鈴木大、行方、深浦、中田功、御大滝理事もいたっけ。そこに僕が加わって、遊び人の若手が集まった感じである。

(中略)

 ふと対局者の方を見ると、二人ともうつむいて動かない。日頃は、酒や麻雀で、よくつるんでいる二人だが、日頃の和気あいあいとした雰囲気を容易に思い出せるため、二人の無口に凄みを感じざるをえない。

 やがて収録の時間がやってきた。二人はスタジオに向かうわけだが、村山君の足取りが重い。日頃から体力的なこともあって歩くのは早いほうではないが、勝負の前や最中は、足を引きずるようにして、本当にゆっくりと歩く。エネルギーを倹約しているかのようだ。

(中略)

 四十手目から三十秒将棋なので、アッという間に終わる。田村君の無理攻めを的確にとがめて村山君の快勝だった。観戦していた大内九段(田村君の師匠)曰く「俺も大雑把だがこんなにヒドくはないよ」。

 表彰式の後、場所を変えてパーティーが行われた。偉い方の挨拶の最中、こっそりと高橋和嬢に冠とメダルを渡す。場がくだけたら無理矢理かぶせてしまおうというつもりだ。清水さん、高群さんを合わせて美女三人に攻められては、さすがの村山君も受けがないだろうという読み筋である。

 乾杯が終わり、宴たけなわになった。さあそろそろ作戦開始と和嬢に合図を送った瞬間、村山君がいった。

「あの・・・ちょっと用があるので先に帰りたいんですけど・・・」

 その場にいた若手棋士一同の眼が点になった。

「なんだってえ、か、かえるだとお」

 たしかに村山君の顔色は土色だった。だから無理強いはできない。いや、そのぐらいの顔色は将棋を指した後はいつもなのだが、本当に悪いのかもしれない。

 本当に一言だけスピーチをすると、さっと帰ってしまった。その間僅か数分。ホンマに用事あるんかと訊いたら、「いや、クリーニングを取りに行かなくてはいけないんで」と答えてさっと身をひるがえした。なんか怪しい。

 主役抜きのパーティーは妙な雰囲気だった。月桂冠と金メダルは和嬢の頭にかかることになった。田村君は唇をへの字に結んで、泣きそうか顔でオレンジジュースを飲んでいる。こんなときにオレンジジュースでもないだろうといったら、いきなりボトルを手にとってジュースの上にドボドボ注ぎだした。ウイスキーの方が多いくらいである。体格は立派すぎても、二十歳の瞳は純な瞳である。その瞳でじっとこっちを見つめて、ぐいっとグラスを開ける。

「うまいかい」

「いやまずいです」

 誰かが「本当に用があったのかねえ」と呟いた。

 滝先生がそれに答えて、「今頃車の中で大笑いしています。間違いない」といった。

 その声が聞こえたかどうか、田村君がグラスをあおるのが見えた。

 打ち上げが終わり、滝、先崎、鈴木、田村の四人は、とりあえず麻雀でもしようかと一路千駄ヶ谷へ向かっていた。広島へ帰るためにアパートを引き払った村山君は連盟に寝泊りしている。そこを叩き起こそうという腹である。本当に寝込んでいるならともかく、仮病はつかわせないぞというわけだ。

 近くの雀荘から滝先生が電話した。

「駄目だ、つながらない」

 内線の都合でかからないんだそうだ。僕はちょっぴりホッとした。

 麻雀は田村君の一人負けだった。我々は、明日競馬場で逢おうといって別れた。後日、村山君に会ったら、ひょっとしたら電話がくるかもしれないと思って待っていたんです、といわれた。まったく奇々怪々である。

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「ひょっとしたら電話がくるかもしれないと思って待っていたんです」

気持ちが理解できるような感じもするし、できないような感じもする。

この気持ちは、村山聖八段にしか説明ができないのものなのかもしれない。

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