1998年、森下卓八段(当時)から弟弟子の深浦康市六段(当時)へのメッセージ。
森下九段らしい真摯さに溢れた文章だ。
将棋世界1998年6月号、森下卓八段(当時)の連載自戦記より。
前期順位戦で、弟弟子の深浦君がC1に昇級した。六期目の春である。気が遠くなるほど永い日々だったと思う。
スッと通ってしまえば何でもない道も、いったんぬかるみに足を取られてしまうと、容易に進めなくなってしまうことがある。そこでもがいているうちに力が尽きてしまったり気持ちが腐ってしまうことも多い。私もC2順位戦を五期戦ったのだが、五期目などは腐ってゆく自分との戦いだった。絶望感との戦いでもあった。読売新聞の西條記者に「あの頃のあなたは本当に暗かった」とよくからかわれるが、たしかに暗かったように思う。
深浦君の研究量は、若手棋士の中でも三指に入ると言われている。同期や後輩が昇級してゆくのを横目で見ながら、勉強するのは相当に辛い。またそれよりも、果たして自分は昇級できるのかという不安、一生上れないんじゃないかという絶望感のなかで、いつか昇級できると信じて行う勉強も、なかなか結果が形に表れないのだから本当に辛い。勉強しても無意味ではないか、どうせ上れないんじゃないかという、荒んでゆく気持ちとの戦いだ。
そんな地獄の戦いのなかで、深浦君は本当によく頑張ったと思う。
しかし、上ってしまえばもう過去のことだ。もう次の地獄が待っている。嬉しいというか、ホッとした気持ちを、すぐに次の地獄に備える戦闘モードに切り換えなければならない。
この点で私は甘かった。C2の順位戦があまりにキツかったので、昇級したとき天国に行ったような錯覚をした。現実は、地獄の次はまた地獄だった。これに気が付いたのは二十七歳を過ぎてからである。五年近く精神の空白があった。この五年間にタイトル戦に出たり、優勝したりしたが、運が良かったのだろう。重荷が取れて、伸び伸び指せたということもあるかもしれない。
地獄の次はまた地獄。こう覚悟を決めて、とことん戦い抜くより道はない。
ともあれ深浦君おめでとう。
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森下九段と深浦九段の共通点は、師匠の故・花村元司九段から直接手ほどきを受けたこと(森下九段が千局以上、深浦九段が数百局)と、九州出身(森下九段が北九州市、深浦九段が佐世保市)であること。
花村門下では窪田義行六段も活躍しており、花村元司九段が名伯楽であったことがよくわかる。