1990年代後半、研究のためにタイトル戦には必ず顔を出していたのが日浦市郎六段(当時)。
近代将棋1998年3月号、日浦市郎六段(当時)の「市郎の追っかけ観戦記 金銀軍団、怒涛の進撃」より。
一昨年の夏のことである。
ボクは佐藤康光と竜王戦の本戦トーナメントを戦っていた。昼の二時ごろだったろうか。突然バタバタと音をたてて激しい雨が降ってきた。
竜王戦は持ち時間が五時間と長いので局面はまだ序盤の駒組みの段階であり、本格的な戦いはこれからというところである。
僕はしばらく窓の外をばがめていた。通り雨だったのだろう。その雨は十分ほどでやんだ。
結局この将棋に僕は負けたのだが、後日新聞の観戦記にこんなことが載っていた。
終局後、記者は佐藤にこう聞いたそうである。
「雨が降ったの気がつきました?」
すると佐藤は
「えっ、全然気がつきませんでした」
と答えたそうだ。それを読んだとき、僕と彼では集中力が違う、負けて当然だったんだな、と思った。
(中略)
ところでこの二、三年、僕はあちこちのタイトル戦に顔を出して「タイトル戦研究家」のようになっているが、棋戦によってそれぞれ特徴があるのに気がつく。
王将戦の場合、他の六つのタイトル戦と違うのは唯一スポーツ新聞が主催だということである。そのことがどう影響するかと言えば、まず記事を書く記者が二人いるということがある。
ご存知の方も多いと思うが、スポーツ紙というのは関東で売られているものと関西で売られているものとでは内容が全然違っていたりする。
競馬競輪などの欄はもちろんのこと、プロ野球の巨人阪神戦なども関東だと巨人びいきの記事だし、関西では阪神びいきの記事が書かれている。
将棋も例外ではない。例えば昨年までの三年間は毎年谷川と羽生という組み合わせだったが、関東向けは羽生びいきで関西向けは谷川びいきで記事が書かれていた。
今年などは両方とも関東の所属だからそんなに極端な違いはないだろうが、関西担当の記者としてはちょっと寂しい思いをしているかもしれない。
取材本部に顔を出すとその担当記者が頭を抱えている。見出し用の駄ジャレを考えているらしい。
この駄ジャレ見出しもスポーツ紙ならではである。例えば羽生がたまたま四間飛車を試したりすると「羽生試験飛車」などという見出しが紙面を飾ることとなる。
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現在の王将戦でも東日本と西日本では記事の内容が異なっているのかどうかはわからないが、興味深い話である。
たしかにスポーツ紙の面白さのひとつは、片方を贔屓した記事の書き方だ。
開幕1戦目、巨人が勝っただけで「巨人、マジック119!」と書くような雰囲気。
将棋の場合であれば、
例えば、升田九段が対大山戦の名人戦第3局で敗れ、0勝3敗となったとしても、
「升田、絶妙の遠見の角炸裂! 名人獲得へ確かな手応え」
のような見出しがつく呼吸なのだろう。
スポーツ紙の将棋記事も見逃せない。