先週の記事「丸山忠久九段が語る」で、将棋ペンクラブ大賞を受賞した小暮克洋さんの観戦記を紹介したが、今日は小暮さんの話。
”観戦記の神”ともいうべき小暮さんの原動力に迫りたい。
近代将棋2007年10月号、スカ太郎さんの「関東オモシロ日記」より。
朝、携帯電話が鳴った。
寝起きの悪いオイラは「う、うう~ん」とうめき声をあげながらむくりと上体を起こした。
まだ覚醒しない意識の中で、「ああ、そういえば今日は観戦の仕事だったのだなぁ」と思った。だから携帯電話の目覚ましが鳴っているのだと考えようとしたのだが、考えてみれば、携帯電話の目覚まし機能とは違う呼び出し音が鳴っている。
「れれれ? 本当に電話が鳴っているんだ」ということに半覚醒のオイラは気がついた。
そこで少しあわて気味に携帯電話に出たのであった。
時刻はちょうど午前7時。こんなに早く掛かってくる電話ということであれば尋常な用件ではないだろう。何か緊急事態が勃発したのではないかという嫌な予感が走りつつ、オイラは電話に出たのだった。
「あ、もしもし、小暮です」
携帯電話に出た瞬間に、オイラの嫌な予感はばっさりと刈り取られ、ハハハと少し声に出しながら笑ってしまった。
電話の主は観戦記者の小暮克洋さんだった。その日の前夜、小暮さんは順位戦C級2組の村山慈朗四段-高崎一生四段の観戦を担当しており、おそらくその流れでまだ飲んでいるのだろうということが容易に想像できた。
「いままで焼肉を食べていてね、それでこれから村山と2人で歌でも歌いに行こうかと思っているんだけど、スカピョンも行かない?」
というのが朝7時に掛かってきた電話の用件である。
朝7時にカラオケに誘う人というのは、そうはいまい。
普通の人なら怒ってしまうかもしれないが、わたくちめの場合、電話で小暮さんの声を聞いた瞬間に、この辺りまでは想定内の展開になっている。将棋記者を16年もやっていると、いろんなことに耐性と免疫ができてくるものなのだ。簡単な3手の読みみたいなもので、「うひょひょひょ」と声を出して笑っていられるようになった。
「スカピョンもどお? これから歌いに行かない?」
「ハッハハ」
「カラオケ屋で歌ってもいいし、これからスカピョンの家に行って、風呂場で歌ってもいいんだよ。どっちにする?」
「ぎゃははは」
笑ってはいるが、なんとも恐ろしい二択を迫られているものである。しかし、オイラはこの難局を乗り切る自信があった。それは冒頭でも触れたが、この日、観戦の仕事が入っていたからである。
「でもさあ、オイラ今日、これから観戦なんですよ」
こちらは断りの切り札を出したつもりであった。オイラの頭の中では次のような会話の展開になるはずであった。
「ええ~っ、観戦! それじゃしょうがないな~」
「そうなんですよ。残念なんですけどまた今度、飲んで歌いに行きましょう」
そしてしゃんしゃんしゃん。オイラはあと1時間の惰眠をむさぼってから千駄ヶ谷に仕事に行く・・・という3手の読み・・・は見事に覆されることになる。
「あっそう。じゃあさ、観戦に行くまでに2時間くらいあるから歌ってから行けばいいじゃん。場所は真ん中の吉祥寺でどうだ?」
と小暮さんは言った。切り札を出したつもりが、小暮さんには全く通用しなかった。
「嫌ならこれからスカピョンの家の風呂場で歌うけど・・・」
もう逃れられないことを悟ったオイラは、身支度を整えて吉祥寺へ向かったのであった。
約30分後、吉祥寺の駅で落ち合うと疲れきった表情の小暮さんと村山四段がいた。訊くと昨晩の将棋は180手を超える激闘で、終局は午前2時を超え、感想戦は午前4時くらいまでやっていたのだという。
「何回逆転したかわかんないくらいの将棋でした」と村山四段。
(中略)
そんな大激闘の後、村山四段と高崎四段は観戦記者の小暮さんとともに明け方の焼肉屋へ行ってきたのだという。
「高崎さんがあんなにお酒が強いのにはびっくりしました」
と村山四段は言った。きっと二人にとって生涯忘れることのできない激闘だったんだろうなということを想っているときに小暮さんはまたまた妙な行動を取り始めたのだった。
なんと、交番に入り込んで行き「このへんにカラオケ屋ありませんかぁ~」とおまわりさんに訊いているのである。
BOφWYのライブに収められている「ここは東京だぜ」と名台詞を思い起こしながら、「まあまあ小暮さん」とオイラは交番から小暮さんを引っ張り出した。吉祥寺だから、カラオケ屋なんて歩いていればすぐに見つかるのである。酔っ払った小暮さんのいたずら心なのだが、それに相手をさせられる交番のおまわりさんも大変である。
結局オイラは、その日、歌を1時間ほど歌ってから観戦に出かけたのだが、そのときすでに「明日の午後6時から下北沢でいっしょに飲もう」という約束をして(させられて?)いたのだった。
実は小暮さんと再び飲む約束をしていた翌日もオイラは観戦であった。王将戦の木村一基八段と橋本崇載七段の一戦である。
そんな中、「午前中から小暮さんが将棋会館に現れていましたよ」という情報を対局者の木村八段から聞くことになった。う~みゅ、小暮さん、気合がはいっとるにゃ~。
「なんだか『はやく将棋を終わらせろよ』ってオーラも感じましたよ」と木村八段は笑いながら言った。
小暮さんから「できたら両対局者も誘ってくるように」というオーラを感じたオイラは、感想戦が終わった後に、両対局者にも「よろしかったら小暮さんといしょにいかがでしょう」と誘いをかけた。こうなったら、デーモンさんと呼ばれる小暮さんへの生贄は多いほどいいような気もしていたのだ。
さすが棋士である。両者は生贄になることを半分覚悟しながら、下北沢まで飲みに来てくれたのであった。
下北沢に着くと、村山四段、戸辺四段ら若手棋士が小暮さんと飲み始めており、その後に到着した我々3人も生ビールの連続攻撃で、あっという間に出来上がってしまった。
1次会ではおさまらない格好になって、若手棋士の間で「聖地」と呼ばれている新宿の「京」に所を移して飲むことになった。
そこに村中四段や、天野三段も合流して、10人近い人数が集まっての飲み会が始まった。
京ではカラオケが始まった。小暮さんは得意の山下達郎を熱唱し、戸辺四段はサザンオールスターズ を飛び跳ねながら歌っていた。歌あり、激論あり、隅のほうで将棋が始まったのもやはり棋士である。
そんな若手棋士を見ていると、やはり元気があふれている感じに圧倒されてしまう。
オイラも将棋の世界に飛び込んだ15年前は、若手棋士みたいに元気一杯だったのかしらね~、と昔のことを思い出そうとしたが、酔った頭ではどうにも思い出せなかった。こちらはいつの間にやら完全なおっちゃんになってしまったようである。しかし、小暮さんは本当に元気だなぁ・・・。
そんなことをボーッと考えているうちに、オイラはソファーの上で眠ってしまったようであった。
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感想戦が終わったのが午前4時なので、焼肉屋(場所的にきっと新宿か大久保だと思う)到着は午前4時半頃。
小暮さんがスカ太郎さんに電話をした午前7時は、飲み始めてから2時間半しか経っていない。飲み足りない気持ちがよくわかる。
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2008年の将棋ペンクラブ大賞贈呈式の時、小暮さんに、「スカ太郎さんの小暮さんの記事、とても面白かったです」と話すと、小暮さんは「アチャアチャ」と言って『もうそのことには触れないで』というオーラを出しながら、照れながら笑っていた。
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2008年の将棋ペンクラブ大賞受賞者は、
観戦記部門大賞の小暮克洋さん
技術部門大賞、観戦記部門優秀賞の勝又清和六段
文芸部門大賞の中野英伴さん
技術部門優秀賞の広瀬章人五段・遠藤正樹さん
功労賞の団鬼六さん
奨励賞の桂九雀さん。
この年の贈呈式の模様は次の通り。
今になって読んでみると、私も忘れていることが多い。
記録しておくことは結構大事なことだと思った。