名人に定跡なし

千葉涼子女流四段は2003年4月から2006年3月までNHK杯将棋トーナメントの聞き手を務めていた。

その率直で辛口の喋りは、非常に好評だった。

NHK将棋講座2005年12月号、2005年度NHK杯トーナメント2回戦(森内俊之名人-千葉幸生五段戦)観戦記、結城広大さんの「千葉惜敗、大魚を逃す」より。

 「あ、おはようございます」―。軽く会釈しながら、森内俊之名人が入ってきた。

 名人と千葉女流は、3年前の将棋講座の講師と聞き手という関係。聞き手の選任に当たっては通常、講師の意向が最優先される。「どなたになさいますか」と尋ねられた名人は、少し口ごもって「できれば碓井さん(千葉女流の旧姓)で・・・」と答えた。つきあいはほとんどなかったのだが、数週間前いっしょに仕事をしたときに「名人獲得おめでとうございます。いやあ、このまま無冠の帝王で終わるんじゃないかと思ってたんですがねえ」と言われ、ただただ苦笑するしかなかったというのだ。そのとてつもなく無防備な、怖いもの知らずの踏み込みを、名人は高く評価した。「名人に定跡なし」とはこのことである。

(以下略)

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NHK将棋講座2006年5月号、2005年度NHK杯トーナメント決勝(渡辺明竜王-丸山忠久九段戦)観戦記、小田尚英さんの「丸山、竜王を突き放す」より。

 仕掛けたあとも渋い応酬が続いた。角銀総交換は後手の権利だが反動もあるのだ。

 交換のよりよいタイミングを探って手をためる後手、より厳しい反動を目指して準備する先手。聞き手の千葉涼子女流王将は「難しくて理解できない・・・」。千葉は本局で聞き手を交代する。繊細な心根の持ち主だが、聞き手としては「天然危険物」と評される率直さ。辛口風の応接を私は楽しんだ。

(以下略)

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「名人獲得おめでとうございます。いやあ、このまま無冠の帝王で終わるんじゃないかと思ってたんですがねえ」は、なかなかインパクトのある言葉だ。

もう少し穏便な言い方は、

「名人獲得おめでとうございます。いやあ、これで無冠の帝王を返上ですね」

になるのだろうか。

しかし、この場合、やや中途半端な感じがして多少味が悪くなるような気もする。

”無冠の帝王”と言ってしまったからには、本音を全てさらけ出すほうが良い結果を生むのかもしれない。

「天然危険物」も、なかなか面白い言葉だ。